諦めれば手に入る
私が身を以て学んだことであり、釈迦をはじめ多くの先輩哲人たちも述べている言葉。
だけど、この言葉を実践するのは難しい。『諦めたのに手に入らない!』なんて言った人も多くいる。それって諦めていない証拠なのにね。
結局は手に入れたくって諦めたって手に入るわけなんかない。傘地蔵や金の斧のような昔話にも 語られていること。言葉の意味つまりは本質を理解せずに行動だけ起こしたところで上手くいく訳ないよね。
なんてことを言うと身も蓋もなくなっちゃうので、ヒントくらいは差し上げようと思う。以下に記す。
最も諦めるべきもの、それは拘り、そう 捉えよ。『○○でないと嫌だ』というものは我欲そのもの。これが理解できないなら何度も考え直して欲しい。次に進んでも意味がない。
我欲を手放す、このことを諦めとここでは理解して欲しい。
諦めとは全てを受け入れることと同義で述べられるが我欲はその状態に最も遠い状態だと言える。
だからと言って夢や目標を持つなという意味ではない。○○でありたい、○○であって欲しい 、そんな風に願うことは全く構わない。がしかし、願うのであれば努力を惜しむな。精魂つきるまで努力を払っても叶わぬ時、自然に受け入れられるようになる。
同様に拘りを捨てられぬのなら、何にも依存せずに努力すれば良い。拘りを自身に向け自己で 解決すれば良い。不平不満、愚痴など一切捨てて努力すれば良い。どんなに辛くとも。すると拘りが昇華されていく。
本当に有意義な人生を手に入れたいのなら先ずは己の拘りとしっかり向き合い、捨てられる拘りからで良いから手放してみること。さすれば意味が少しずつ理解できるはず。
ただし、時間はかかるかもしれない。あのお釈迦様でさえ何年もの苦行を経てやっと理解できたものだから、私たち凡人には気が遠くなるくらいの時間が必要かも。それでも少しずつ理解できるだけでも人生は見違えると思うよ。