私は周りからポジティブ志向が強いとよく言われる。でも多分結構ネガティブな人間だと思う。自分の苦手を見つけるのが好きだし、ネガティブな自分と向き合う時間が長い。


巷ではポジティブシンキング(思考)ができることがもてはやされやすいが、私はポジティブシンキングなどしようという状態がネガティブに見えてしまう。ポジティブにならないといけない、という心理状態自体がかなりネガティブだと思いませんか?


私自身はいつも論理的な思考を心がけている。あるものをできるだけ歪みなく捉え、私に何ができるか何ができないか、すべきことかすべきことでないかを判断して行動する。私にとってポジティブなことでもネガティブなこともしっかり向き合う、これが周りからポジティブだと判断されているみたい。


そもそもポジティブとは肯定のこと。だけどポジティブシンキング云々を言う人たちのほとんどはポジティブ=都合の良いこと、ネガティブ=都合の悪いこと、と受け取っているように思われる。


私はどんなに都合の悪いことでもそれ自体の存在を肯定するよう努めている。つまり、都合の悪いことをポジティブに受け入れるよう心がけている。


最もポジティブな状態とはどんなことも肯定的に受け止められる、ネガティブな状態を肯定できる、そんな状態のことを言うのではないだろうか?


過去、現在の状態は変わらない。しかし、その状態を直視し対応することで未来は変わる可能性がある。しかし現状を直視できなければ未来が明るくなどなるわけがない。


コロナパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻、その他にもネガティブは世に蔓延している。どんなに都合が悪くても現状を直視しなければ的外れな結果しか期待できない。


個人個人に於いても自身のネガティブに目を背けているようでは都合の良い結果などありえない。


究極のポジティブとはどんなネガティブなこともしっかり受け止めることではないだろうか。


ポジティブを勘違いしている多くの人たちの存在を無視せずにここで述べている私はポジティブなのか、ネガティブなのか?いったいどちらだろう?