自助会などの相談を受けると様々な生き辛さに遭遇する。でも、大抵は2つのグループに大別される。


一つは鬱になる人。責任感が強く、ヘトヘトになるまでやりきってしまう。こういうタイプの人はしんどくてももっとしないといけない、頑張らないといけない、と疲弊してもなかなか弱音を吐かない。自分を変えることで社会適応しようという意識が強い。


そしてもう一つのグループはしんどい、しんどいを繰り返す人たち。生き辛いを繰り返すのも同じ。自身のしんどさを周りに共感してもらったり、社会への不平不満が多かったり、周りが自分の思い通りになることを期待して自分は変わろうとしない。


そんな後のグループの人たちにおすすめなことがある。それは自らしんどいことに取り組むこと。できれば仕事とか責任の重いものではない、一人でできるスポーツのようなものがベター。


あなたの周りで『しんどい』を繰り返す人をよく観察してほしい。もしあなた自身がそうであれば逃げずに自身を顧みてほしい。ほとんどの人がしんどいことから逃げようとしていないだろうか?


きっとどんな人でもしんどいこと、辛いことがない人なんていないと思う。でも対応力が高い人はしんどいことへの耐性が高い、つまり普段からしんどい経験をたくさん積んでいることでしんどく感じない体力が備わっていたりしんどいことへの対処法に長けていたりすることが多いと思われる。だとすれば単純にしんどいことをたくさん経験すれば良い。ただし瞬発力ではなく持久力を鍛えることが大切。


で、まずおすすめなのがジョギング。公園などを利用すれば好きな時間で費用もほぼかからない。自転車でも水泳でも山登りでも、長い時間続けられるものがベター。


実際にこれを何人かにやってもらったら、人格が全く違うくらい余裕ができ、周りからの評価もされるようになったり、効果はものすごい。


だけど、トライする人って本当に少ない。100人に声をかけても一人くらいしかしようとしない。元々しんどいことから逃げようとしている人たちだろうから仕方ないが。


で、この方法、欝の人たちにも効果があると思われる。ただし、やはり仕事や責任の重いしんどいことでない、上記と同じような持久力を鍛えるものがベター。


鬱タイプの人は自身が周りから評価されるための努力は得意だが、評価されないものへの努力はスルーしてしまいがち。でも、自身を鍛えて結果が出たことに自身で喜べる、つまり自分自身で自分自身を評価できるようになると周りの評価に振り回されにくい、軸が何であるかが見えてくる。


ここのところ、スポーツが私の生活の中心になりつつあるが、スポーツから学ぶことが実に多く、この経験が生き辛さと無縁の生活を導いてくれていることを常々感じている。


あなたがスポーツをするかしないかあなたの自由だが、私にアドバイスを求めるならまずやってみるべき。しもせずにグダグダ言われても私がスルーしちゃうからね。