私は大学期の後半を龍河洞のあるすぐ近くで過ごした。今は竜馬空港と呼ばれているらしいが、その空港の周りのほとんどが我が母学の農場で、自動車で10分ほどで日本有数の鍾乳洞である龍河洞がある。
私が龍河洞を訪問したのは実は卒業間近の春、その地を離れる直前になって、さらに遠方から来た彼女との最後の想い出づくりとして訪れた。
その時から私の教訓として私の中に刻まれたこと、いつでも行ける場所に価値はない、ということ。
健康に於いても同じ。先日足の不自由な人たちの単車の乗車をサポートするイベントに参加したが、彼らも足が不自由になったことで二輪車に乗ることへの価値が高まったことを皆話していた。
歳をとって体力が低下して、初めて健康への価値がわかる人も多い。しんどいことができない身体になってしんどいことに憧れても時は戻せない。
今ある幸せもきっと同じ。当たり前と思えるものも失わないと価値がわからない。
私は幸せかもしれない。そんな大切なものを大きく失うことなく気づけたから。しかし、私事としてはそんな幸せなんか不必要と思えるほどのものを失ったがゆえの望まざる返礼品のようなもの。
皆、もう一度頭を冷やして考えよ、辛い、しんどいと思える間が幸せじゃないの?
まあ、いくら言っても届かない人がほとんどなのは既に理解しているが。
本当に幸せに行きたいのなら、目の前の苦難に向き合いなさい。それ自身が幸せと気づけるのが全てが終わってから出ないように。