生き辛さを抱える人ってほとんどが信頼することと依存することを混同しているように思える。
つまり、自分が依存できそうな人に信頼感を感じている、ということ。もちろんそういう部分は誰にも多少はあるだろうが、依存と信頼は全く別物。
信頼とは『期待に応える』『結果を残す』『欺かない』などの言葉で表現して良いと思う。しかし、必ずそれができるとは限らない。期待を裏切ったとしてもそれを受け入れられればそこに依存は発生しない。
信頼している人が期待に応えなかったら自分は○○できない、困る、立ち行かなくなる、なんてのは完全な依存。
信頼するのも期待するのも勝手だが、結果を背負わせるのとは全く別。選挙公約のように事前に約束するのならそれなりの責任は伴うだろうが、勝手に信頼して期待外れだとか、その人のせいで損をしたとか、全くどうにかしている。期待に応えたら報酬を支払う、という約束くらいしてれば別かもしれないが。
上記の話とは逆に、『周りから信頼されたい』、というようなことを言う人も多く見てきたが、依存されることで信頼されたと錯覚している人も多く見てきた。
混同しているという意味では全く同質であるが。
色々な自助会などに顔を出して人気を稼ごうとする人たちがその後に窶れてしまうのは依存の重さに耐えられなくなるからだろうね。
私も自身の自助会以外に顔を出さないのは以上のような人との摩擦を避けるため。依存させないテクニックなんてないわけではないが、そういう修行もさせて貰ったし、自分のペースでぼちぼちとできればいいし、ね。
ここまでお読み頂いた皆さんはきっと何か引っかかることがあるだろうから、色々考えてみてね。これらの答え合わせは是非自助会にて、
お待ちしてます!