水泳が上達して、苦手と苦手意識の違いに気づいたことがある。


私はもともと25mさえも泳げない金槌だった。その頃は私より泳ぎの上手な人たちは1kmくらい誰でも泳げると思ってた。


自身もようやく泳げるようになって、水泳が苦手な人が実は半数以上かもしれないことに気づいた。でも彼らはそれほど水泳に対しての苦手意識を持っていないことにも。


日常生活を送る中で水泳ができなくて困ることなど殆どない。インストラクターやライフセイバーなどでなければ泳げなくても社会生活は送れる。水泳は苦手でも苦手を意識せずに暮らすことができる。


でも私は違った。強いコンプレックスを感じていた。他人に「泳げない」なんて絶対に言えなかった。


実は苦手意識を感じるものって憧れるものであったりもするみたい。憧れるがゆえに苦手をついつい意識してしまう。


発達障害での困りごとでも得意なものと苦手なものの差が大きいことがあげられるが、苦手なことをせずに生きていける方法はたくさんありながら、ついつい苦手への意識が向いてしまう。


結果から言えば、私のように徹底的に苦手を克服しようとするもよし、苦手を苦手として諦めて得意なことをするもよし。ただし、苦手な意識を持ち続けてグダグダ言ってたって時間が浪費されるだけ。でもそうなっちゃってる人って本当に多い。


私は諦めが悪い自覚があるので徹底的にやる。うまく行けば自信につながるし、うまく行かなくてもその時の努力は何らかの形で身になる。どれだけやってもダメだったら、そんなときは諦めがつく。


私が苦手なことはきっとたくさんあるだろうが、自身では苦手が思いつかない。つまり苦手意識は心のなかではほとんど過去のものになっている。


そうなると心は軽くなる。生活潤いが出る。とともに打ち込めるものが減ってきた寂しさもある。苦手を探している自身の存在に気づいたりもする。


苦手は生活を困らせるものかもしれないが、同時になりたい自分の羅針盤にもなる、ありがたいもののようにも思える。