鬱だった頃、私の部屋は昔の古本屋の如く本の中で生活していた。ざっと数えて5千冊以上。そんな私は現在は本をほとんど読まない。


早くから老眼になった影響も少しはあるが、本から得られる知識より自分で考えたほうが速いし納得いく。情報に振り回されず本質と向き合える。


この数年間はスポーツが生活の柱となってきているが、当初はネットで動画検索して上達法など色々と見漁った。水泳に関してはある程度納得行くようになってきたので見る機会は減ったが、現在の最重要課題の野球の打撃に関しては動画をあまり見ない。


野球のバッティングは人によって考え方がまちまちでどれが正解か判らない。落合博満も正解はないが不正解はある、と語っている。


で、色々と時間かけて自分似合うスタイルを探していると段々とアイデアが浮かぶようになってきた。シーズンオフに入ってから状態は週ごとに上がってきている。自分で考えられるようになってきた。


このブログでも考えることの大切さを何度も説いてきているが、知識偏重の日本教育で育った多くの人たちは考える力が弱いなと常々感じる。自分は考える力があると豪語すする人たちの多くも自信の低さを隠そうとしているのがすけて見えたりする。


私は野球で打てない自分を知っている。だからなんとか打てるようになろうと考え続ける。きっと打撃を苦にしなかったら考えたりすることはないだろう。守備の名手ほど自分の拙さを知っているのかもしれない。ソクラテスの無知の知も同じことかもしれない。


スポーツでの解も自身で導き出せるようになると、考えることが更に楽しくなる。こんな日が来るとは思わなかった。


次は楽器やジャグリングでも同じようになれると嬉しいな。