私は普段、googleのカレンダー機能でスケジュールを管理しています。メチャ便利。タスク管理やスキルアップの時間割にとても効果的。


しかし、端末を家に忘れたり出先で紛失したりすると大パニック。それなりの策は講じているがカレンダー機能がないと自身のスケジュール管理が機能しなくなる。


さて、現代社会に於いて管理は絶対正義と言える位置を確立しようとしている。親が子を管理し先生が生徒を管理する。上司が部下を管理し国家が国民を管理する。ここまで書けば頭の回転の早い人ならばお気づきかもしれないが、管理の絶対正当性は管理する側の論理であって、管理される側からしてみれば只の権利侵害にしか過ぎないのがわかるだろう。


昨今の香港や新疆ウイグルに於ける中国の対応を見れば一目瞭然ですよね。


更に、今回述べたいこと、それは管理の正当性云々ではなく、管理が人を駄目にする、という話し。


前述のgoogleカレンダーの如く最早私自身が自身を管理しきれていない。自身の管理能力を他に委ねることが可能になると自身で管理が不要となる。至極真っ当。


私の場合は機械、つまりはモノによって管理されているが人によって管理されていればどうなるだろう。芸能事務所のマネージャーのような存在かもしれない。マネージャーが自身の都合で予定を入れ替えてもそれにさえ気づけなくなってしまう。管理する側には好都合かもしれないが、される側は常に受け身で言われたことしかできなくなる。そんな状態で自主性などが芽生えるだろうか?


管理とは自身の都合の良い奴隷を産み出すに過ぎない。奴隷は自身の意志で動かないので言われたこと以外を自主的に励むことなどない。


子供が自主的に学ばない、部下が仕事にやる気を見せない、と言った愚痴を結構耳にするが、そういう親や上司は管理が大好きな人が専ら。


厳しく加えると自身の管理がズボラで、その事実から目を背けたい一心で自身より立場の弱いものを徹底管理し、長所には目もくれず短所ばかりを責め立てる、そんな人をどれほど見てきたことか?


管理すること自体を否定はしないが、管理したいならば先ずは自身の管理に励むこと。そして次に物の管理。そして決して管理すべきでないのが人。そう心得るのが世の道理。


人は理解すべきものであって決して管理すべきものに非ず。あなたの所有物ではない。たとえ子でも生徒でも部下でも、一人の人格者ですから。人は自身の人格を認められたときに初めて自主性が芽生える。自主性が育まれば誰に言われずとも自身の人生に必要なエレメントを自ら欲する。


もう一度言うよ、管理すればする程人は成長せず、依存に満ちた生涯を送るよ。そして、管理好きなあなた、あなた自身の心の中にある幼稚な依存体質にいつまで背を向け続けるのですか?その幼稚さが他人をも不幸にしていることに気づかないのですか?


今日はちょっと厳しめだったかな?