発達障害の自助会に通い出して直ぐに気づいたこと。それはほとんどの発達障害者たちが『フツウ』ななりたがっているという事。これは正直驚きだった。
『フツウ』というのは大勢の人とか定型発達の人とかのことを言うことが多いと思われる。
私は小学校に入学して直ぐに気づいたが、他人と違うことを常に好んでいた。
これは今の私の生き方に直結していると思われる。私のこれまでの経歴や趣味、社会活動を見れば直ぐにわかって頂けるだろう。簡単に言えば派手好き、他人がしない事をするのは心地良い。
さて、発達障害の自助活動では個性を認めて欲しいとか自分らしさを理解してほしいという意見をよく聞くが、だったら何故フツウに憧れるのだろう?私にはさっぱり判らない。フツウに憧れるなら個性を認められる必要ないんじゃない?
ここで一つ気づいたことがある。フツウになりたい人たちはフツウに憧れている。つまりフツウになることは良いことだと無意識かもしれないが感じているはず。ということは、フツウになどなりたくないという私は普通が良くないと思っているのかもしれない。もっと深く言うとフツウを見下しているのかもしれない。
ああ、心が抉られる。
私のコミュニケーションエラーはこういった所に終端を持っていたのかもしれない。
因みに、私と同じようにフツウをどちらかというと毛嫌いする者も少数ながら一定存在する。少数派の中の少数派。こういう状況を社会からの認知不足も啓発活動を難しくさせている側面は否定できない。
ともあれ一度きりの人生を私なら周りの視線など気遣わずに自分らしく生きていきたいと願う。嫌われることにオドオドして生きていても何も楽しそうじゃないしね。