人はやりたいことだけやってると堕落する。


そんな風に思ってる人って本当に沢山いるみたいですね。こう言う考えは性悪説という言葉で一括にできると言っていいと思う。皆自分勝手で自分さえ良ければ良いという考え方。


性悪説の反対が性善説で、誰もが社会や他人の役に立ちたいと言う気持ちを心の底に宿しているというもの。


この性善説と性悪説、太古の昔からどちらが正しいのか議論され続けてきたが結局答えは出ていない。というかこれは相対的な考え方でどちらが正しいかという議論自体が私には無益に思えてしまう。


話しを戻すと、性善説的に考えると、人はやりたいことをやり続けることで究められる、とも言えそうだと思いませんか?


実際のところ、性善説性悪説と同様に好きなことをやり続けると堕落する人も極める人も必ず現れるはず。でも社会が性悪説の風潮が強いのでその裏返し的に性悪説になってしまうんですね。


悪い遊びを禁止されるとついついやりたくなってしまう、誰だって少しは経験あるでしょう。無理やり禁止せずに自己責任でどうぞ、ってやるとやりたい気持ち以上にやったあとの責任を考慮してある一定で踏みとどまりやすい。


先日もJリーガーの中村憲剛選手の逸話をネットで目にしたが、学生時代に勉強できなくて将来困ったとしても己の責任だからやりたいようにすれば良い、と父親に言われたそうだ。


彼は少しでもサッカーの練習時間を確保したい思いとから授業中は全神経を集中させて復習や補習をしなくて良いように頑張ったとのこと。


好きなサッカーをやり続けることで学業も成就できた良い一例でしょう。


でも多くは彼のようにやりきることができない、何故だろうか?きっと中村選手の父は性善説的な考えにより近かったのだと思う。


クラブ活動ばかりせず勉強もしなさい、おおくの保護者はそういうでしょう。でも中村選手の父は『好きなことをやりきれば良い、ただやりきる中で言い訳はするな。』という考えだっただろうし、彼自身がそういう生き方を貫いていたから健剛選手は一流になれたのではないだろうか?


勉強が嫌いな親に勉強しろと言われて素直にハイと言えますか?それって只の罰ゲームじゃないですか?


好きなことをがむしゃらにしている子供を心の底から信じられないから子供は学ばない、そう思いませんか?