全くの私見ですが、私自身の心に深く刻んだことなのでお伝えします。
最近はスマホで様々な学習アプリがありますが、最近は漢字を書く機会が減っていることから細切れ時間を利用して漢字を学ぶようにしています。でも、書けない字、いっぱいある。読めるし、なんとなく輪郭は思い浮かぶけど書けない、そんな経験皆さんもあるのでは?
先日母が免許更新に合わせて認知症の試験を受けた話しを聞きました。時計の針を見て時刻を答えたり、逆に指示に従って針を記入する問題とかあったそうです。
確かにヘルパーの講習でも認知症対策でデジタル表示の時計を勧めていました。
ここで先程の漢字のことと繋がってくると思いませんか?私の部屋にはアナログの壁掛け時計があり、毎日それを見て生活しています。しかし、この世の中からアナログ時計を一掃して10年間暮らした後に時計の針を読めるでしょうか?
そんなの簡単っしょ、って答える人も多いかもしれません。
しかし、あまり見かけない漢字は数年経つと読めなくなったり、読めても書けなかったり、それを考えれば時計も同じかも知れません。
普段は時計を見て生活していても、自分で時計の針を記入できない、これは普段は読める漢字でも書けないのと同じじゃないですか?
このブログでは便利さへの依存について多く述べてきましたが認知症もまた同じ根を持つもののように思えてきました。認知症という診断を受ける程度ではないでしょうが、私の認知システムは確実に低下しています。いや、ほとんどの人がそうじゃないですか?上記の意味で捉えるなら高校生くらいから既に一部の認知は置き換えによって低下していると思われます。
そんなの大丈夫、そういう人が最も危ないように私は思います。
もっと面倒な暮らし、少し楽しんで見ませんか?将来に役立つと思いますよ。