来年からの仕事の準備が予想以上に忙しいここ数日です。
昨日の自助会は地元の議員も参加してくださり、ピアカウセリングの効果がどんどん浸透していることを感じます。
さて、発達障害の困り事は多くありますが、最大の懸案は自立ではないでしょうか?自立するなかで困り事を抱えている者も多数存在するが、自立できなくて悩む本人と、更には自立できない子を持つ親、子供の将来に不安を感じる親も多く存在します。
私がいなくなったら私の子は生きていけません。
そんな言葉を毎週のように自助会で耳にします。
自立、これはいったい何をもって定義されるのか?会社員になれば湯水のように金銭を使い果たし借金していても自立でしょうか?逆に不定期な収入でも切り詰めて生活するのは一人前ではないのか?本当にあやふやな位置付けのように感じます。
私は自立を親離れ、子離れと考えています。前にも話したと思うが、福祉の教科書にある自立支援とは自己選択、自己決定、自己遂行を促すこと、つまり自分の生き方を自分で決めることです。
親が選択肢を与え、決めてあげるから子供は成長できない。いつまでたっても自立できる訳がありません。
野性動物も多くはある一定時期で親離れしますが、決して一人前だからではなく、親が次の繁殖期に備えてのことです。ひとりぼっちになった子は、ただひたすら一所懸命命をつなぐ。そして一人前に成長していく。
子供が成長できないのは親が子離れできないから、そう思いませんか?
先月いっぱいで福祉職員を卒業した私ですが、仕事のなかで最も大事な事は、同様に利用者が職員離れできるように、ある一定距離をおきながら私自身が利用者離れする事、そう感じました。ただ、全く放っておくだけでは仕事にならない。だったら何をするのか?答えは簡単。見守るだけ。
多少の失敗は経験として、重大事故にならぬように見守る。失敗から共に学ぶ。
そしてそれ以上に人として、人生の楽しさを伝える。周りに人生を充実できている人がいないのに、子供たちも利用者たちも、未来を肯定できるだろうか?だから私は自身の人生を掛けて楽しむ。
昨日はあるクライアントになってもらえそうな親子と会っていました。上記の内容についてお話ししましたが、自分と子供の距離を計りながら一所懸命見守ろうとしていた母親の姿が印象的でした。
これからどんな風に関われるか解りませんが、共に未来を信じられればと願います。