長らく空いてしまいました。もう一度自分の投稿を読み返しながら、続きを進めていきます。
さて、私がクラウンとして人前に出だした頃と塾での生活が始まったのは同時期。その間、この期間が与えられたものであるかのように感じるほどタイムリーに自分をリストラクチャーすることができました。
前にも話したか、定かでないですが、私が私の中に『すーじーくん』という個性を持ってから途端に社会生活のトラブルが減りました。私にとっての『すーじーくん』は私の本質そのもので、衣装やメイク、タイミングを合わせれば、いつでも自分を出すことができます。これが大きなことで、それまで自分を出すと嫌われるとかうまくいかない、そんな風にネガティブなイメージしか持っていなかったが、『出せる自分』を持ち、尚且つその自分が皆に受け入れられる、喜ばれる、という自信が芽生えたことで、普段は社会人の私を演じることができるようになったわけです。
この辺りのことは、もっとワークショップ的に広めて生きたいのですが、昭和のプロレスラー、デストロイヤーさんも学校の先生としての側面を持ち、内向的な子供たちにマスクを被らせることで表現力を高められることなどを実際に現場で行っておられたらしい。イギリスでの義務教育での演劇授業にも通じるものがあるかもしれない。
人は自分の中に新たな人格を芽生えさせることで社会生活に適応しやすくなる能力を持っているのかもしれません。
そんなこんなですーじーくんが生まれた当初はギャラがあるとかないとか、ステージがあるとかないとか、そんなのかんけーねぇー状態で様々な場所に出没してました。本人は自分が出せてウキウキだったんです。
そんなハッピーな時間が当たり前に過ぎだした頃、心の中に何かぽかんとした穴を感じました。すーじーくんに戻れるワクワクが心の中から消えだしていたような、そんな気分。とは言えそれが辛いわけでもない。いやむしろ心地よさもある。
そんな状態を師匠に相談したところ、『私もそんな時期がありました』との反応。クラウンと言う人格も時間と共に成長し少しずつ変わって行くものだそうだ。そういう助言の基に振り返ってみると、それまでのすーじーくんは年齢的に3~7歳くらい、いたずらばっかりやって楽しんでたのが、その頃の彼は中学生くらい、いたずらはするけどちょっとはしゃぐのはみっともないかな、的なそんな感覚のようにも思えた。
そうして、私の本質のすーじーくんはどんどん心を成長させていき、社会人の振りをしている私とだんだん近くなってきた。逆に言えば社会人の振りをせずとも自分らしく社会で受け入れられだしているようにも感じた。
結果的にはほぼその2つの人格が統合されて今のケイという人格ができたように自認しています。
って、ここまで綴って、精神福祉関係の人たちなら気づくことがあるかもしれない。これって解離性障害(多重人格)ととても似ていると思いません。解離性障害も様々な症例があるが、私は自覚がある二重人格で結果的には統合されて現在はほぼ改善したと考えて良いと思う。
その後に、ありがたいことに私を慕ってくれる解離性症候群の人とであって、色々と学ばせてもらえるうちにその人の解離性も生活の困難から大きくかけ離れるものとなったようである。私個人の考えでは、自分の中に肯定できる一つの人格を積極的に乖離させ、その人格を成長させることで社会とかかわることができるようになる大きな可能性を感じている。
私のブログでは発熱は必要だから起こっていることだと述べているが、解離性障害も困難から回避するだけでなく、人格を乖離させることで自身の自立を得ようとしていると考えた方が良いのかもしれない。もちろん私の一例だけをもって全肯定するつもりはない。しかし、解離性を全否定する今の医療の考え方に大きな疑問を感じてしまう。
以上のようなことから、自分の中に隠れている自分、新たな自分探し、そんなものにとても有効なクラウンのトレーニングをもっと広めたいと考えています。特に福祉職員や教員たちと。
そんなこんなで、塾での生活についてもう少し次回以降掘り下げていこうと思います。またすこし空いてしまいそうですが。