昨日もプールに行ってました。最近はかなり思い通りに泳げるので楽しい面と、上達の伸び代があまりない空虚な面と、両方感じながら泳いでいます。

 

振り返ってみれば、30歳まで全く泳げなかった私が何故水泳を始めたのか?それは泳げない恐怖心に打ち勝ちたかったから。そういう意味では十分に目標は達成されているが、まだもう少し深いレイヤーにやり残していることがある。そのストレスはゴーグル。

 

今やゴーグルをせずに泳ぐ人などほぼいないでしょう。プールの塩素混じりの水は目には優しくない。ゴーグルはすべきものでしょう。しかし、いざと言うときにゴーグルがなければ泳げない、なんてそれってどうなの?って私は考えます。

 

兼ねてから、日本古式の泳法に私は興味を持っており、鎧兜を纏ったままでも顔を出して泳げる、きわめて実践的な泳ぎ方が日本に代々伝わってきたそうです。丁度、大河ドラマ『韋駄天』の中でも少し紹介されていましたね。ロス五輪の閉幕式でのエキシビジョン。あんなのがもしかすると私の水泳での最終目標なのかもしれません。

 

昨日も、ある程度泳いで、そのあとぷかぷかと沈まないように浮かびながら長い時間を過ごしていたのですが、何か飽きてしまって…、そんなときに見よう見まねでテレビ映像を思い出しながら古式泳法を自分なりにやってみた。家に帰って調べると、最も基本的な横泳ぎだったが、思っていたより簡単にできてしまった。

 

本当に思いつきのサルマネだけど、これまで鍛えた体幹と水の扱い方がある一定身体に染み付いたのかあまり苦もなくできちゃった。

 

学ぶって実はこういうことかもしれない。自分であれこれ試してみて、遊び感覚でやってると、そのうちにできるようになるものかもしれない。あれをやらないといけない、なんて気持ちになっているときってうまくいかないことが多い。でも遊び感覚でやるとできることもあったりする。

 

そう言えば、一流のスポーツ選手も案外教わったことを忠実にやるだけでなく、色々と考えながら遊び感覚でやっている人も多いように思う。やはり教えられただけでは教えた人を超えることはできないのかもしれない。遊ぶことは即ち自分で考えること。遊びながら失敗を繰り返すことが実は最も成長できる学び方なのかもしれない。

 

横泳ぎ以上のスキルは今は持とうとは思っていません。突然湖や海に投げ出されて、助けられるまで生き延びる術を持つのが私の理想なんです。取り敢えず、横泳ぎ遠泳1kmくらいを目標にやろうかなって考えています。