先日、あまり外食しない私が知り合いとファミレスで食事をしました。支払い時にとても印象深い店員さんに出会ったのでお話しします。

 

支払い時に、伝票の会計を割って欲しいと頼んだところ、とても冷たい定型文を復唱するような対応をされちゃった。

 

『こちらで宜しいでしょうか?』

『お支払い金額は~。』

 

活舌を無理やりよく、ゆっくりにこやかな表情で、でも何かよそよそしくて温かくない。

 

まあ、直感的にお仲間さんやな、と感じました。もうどう見てもコミュ障。

 

きっと、そもそもコミュニケーションが下手な人が相手に不快にさせないようにゆっくり活舌よく…、なんて考えたのでしょうね。

 

でもね、こころが通わないんだよね。

 

私が放送の仕事をしていたときも同じようなことがありました。何度も。

 

原稿を読ませると、活舌よく綺麗に読めるが、耳に入ってこない、つまり心に響かない。プロのアナウンサーでもそういう人が多かった。細かい話ではあるが、アナウンサーとパーソナリティは全く違う職種で、事実を感情を切り離して伝えるのがアナウンサー、対してパーソナリティはその人の個性(パーソナリティ)を前面に出して聴衆の共感を呼ぶもの。タレントさんや芸人さんがパーソナリティをやり易いのは、そもそもの個性が確立されていることが多いから。

 

私自身も若い頃は周りとどう接してよいか悩んだことはよくある。でも、今は私のパーソナリティを周りが活かしてくれる。私が常に心がけていること、それはこころを通わせること。唯それ一つ。

 

どんなに拙くても、どんなに困難でも、結果的に伝わらなくても、心を通わせる努力を怠らない、ただそれのみ。

 

ぶっちゃけて言うと、言葉って拙い方がいい。先に挙げたようにどんなに丁寧な言葉でも冷たく感じさせるし、饒舌な人は言葉が軽くなる、嘘くさくなる、警戒心を与える。

 

コミュニケーションに悩む人のほとんどは言葉を上手に操りたいと願っているみたいだが、上手に扱おうとするから人は離れていく。

 

現在の私は、ネットでの集客に悩んでいる最中ですが、きっと業務の中に心を通わせられない部分があるのでしょうね。それを必死で探し中です。