前回はクラウン(道化師)というものと出会うきっかけについてお話しましたが、今回はいきなり跳躍します。と言ってもトレーニングを受けだすもっと以前のこと。実はトレーニングを受ける以前に私はクラウンになっていたのです。

 

さてさて、野宿旅を終えた後にボランティア中心の生活を送っていたことは和歌山野宿旅その後編でお話しました。真っ先にあたったのが赤十字とユニセフでした。世界中の困っている子供たちの役に立ちたい、そういう熱が心の中に渦巻いていました。

 

何故そんな風に思ったのかはお話しませんが、お察しください。

 

私の中では子供を笑顔にしたい、そんな気持ちがずっと心にあったので、知らない子供でも微笑んだり、おどけて見せたりすることはよくありました。子供と遊ぶ時間は私の幸せでもあります。

 

しかし、子供たちの反応はと言うと、とても好意的に接してくれる子と、全くそうでない子と、はっきりと別れてしまうんです。実のところ、そこに結構凹んでしまいました。相手の反応が良さそうかそうでなさそうか、恐る恐る見極めてからコミュニケーションをとるようにしていました。

 

ぶっちゃけて言うと、子供相手に得意と苦手が両極のように別れていたのです。

 

これって、大人の人間関係も同じですよね。今思えば簡単なことなんですが、子供相手に苦手意識を持って怯えている自分がいました。

 

そんな苦手意識が一夜にして変わる夜がありました。

 

その時のシチュエーションは現在ではお話しできませんが、私の頭の中の出来事をお話しします。

 

私は野宿旅以前から『加藤諦三』の本を愛読していました。彼の本によって生き辛さが大きく改善されました。彼の本はテーマは違っても本質はほぼ同じで、その中で私が最も大切にしていることは『見返りを求めない』ということでもあった。

 

夢うつつ状態の私が頭の中でそんなことを考えながら、私にそっぽを向く子供の顔が現れ、それに凹んでしまう自分…、いや、ちょっと待てよ、もしかして子供に見返りを求めてたのは自分の方かも…。

 

そんな思いが頭を巡った時にいても立ってもいられず『ウオォー!!』って身体を起こした。まさに天から降ってきたみたいな感じで。

 

それから、そっぽ向く子供がいてもそっちに回り込んでもう一度アクションしようと決めた。相手を笑顔にしたいのはこちらの一方的な気持ちであって、彼らに関係はない。彼らは無視する権利もあるはずだ。見返りを求めておきながら傷つくなんて、自分はなんて身勝手なことを押し付けていたんだろう。

 

実は、そう思えてから子供たちの反応が格段によくなった。無視されることがほとんどなくなった。それどころか、犬やインコの言いたいことがわかるようにさえなってきた。反応が悪いことへの恐怖が消えたことが原因だと思われます。

 

実はこのとき自分の中で道化師としてやって行ける、そういう確信は持てていた。これを公言するのは初めてかもしれないが。

 

で、この後、白井さんに連絡を取って道化のスクールに通うことになったのだが、詳細は覚えていない。依然として裏方として関わりたかった私を、認知を深めるためにトレーニングしてみれば?という師の一言が背中を押して通いだした記憶もあり、この辺りは定かでないが、道化を始める前に以上のようなことは既にあったんです。

 

次回以降でスクールに通いながら塾で子供たちと接する様子などを伝えて行きたいのですが、今回のエピソードを外して進めるわけに行かなかったのでお話ししてみました。

 

次回はきっと塾での『先生を演じる』というテーマでお話しようと思います(気が変わるかもしれないので)、

 

では、次回をお楽しみに。