『安定は成長』、確かこんなポスターを掲げていた政党がありましたよね。
言いたいことは十分理解できます。が、言葉尻だけを取って申し訳ないが、大きな違和感を感じました。成長しているときは確かに政治的安定があるが、安定しているからって成長しているのか?
結論から申しますが、危険な割合が多いものほど人は成長するのではないでしょうか?つまり、絶対安全なものは成長しない。
私の自助会では失敗は成功の素ならず、『失敗は成長の素』であると説明しています。失敗するから学べる、失敗しないためにどうすればよいか、それが成長ではないでしょうか?
かといって、危険度が50%もある公園で子供を遊ばせろとは言いません。しかし、安易に絶対安全と言ってしまう自分たちを振り返ることも大切ではありませんか?
世の中の物語全てで、絶対安全な中で幸せに暮らしました、という内容のものはあるでしょうか?何かの困難を乗り越え何かを成し遂げる、困難を越えて元の生活に戻る…。必ず困難が存在しますよね。
困りごとはその人の成長の糧。
大航海時代の船乗りたちは海の限界の滝に落ちることを恐れていたのではありません。一度乗り込むと10年にもなるかもしれない長旅、病気もせずに生きて帰ってこれる保障は一切なし、現地で原住民や海賊に襲われることも想定内。そんな危険を乗り越えて帰るからこそそれなりの冨を築けたのではないでしょうか?
いつもこのブログで便利が人を堕落させると述べていますが、『絶対安全』なんて言葉を簡単に口にする人はもう一度考え直してください。
絶対安全は無成長、危険度の大きさだけ人は成長するもの、
そんな風に考えてみませんか?