前回まで和歌山野宿旅その後編を綴っていましたが、その後を語っていくためにはこの項目を外せません。道化は私にとって、私そのものです。野宿旅の期間は二週間、その後一年半ほどボランティア中心の生活を送っていましたが(週末の撮影などはしていた)、その後に塾で働くことに。ここでは子供たちから本当に多くのことを学ばせてもらいました。その際にキーになったのが『道化』。しかし、そこに行き着く説明なくこのあたりは語れそうにありません。順を追ってお話しようと思います。

 

まず、私が道化と関わりだしたのは野宿旅から遡ること5年以上。私が放送番組の仕事に関わりだした頃。その制作会社の一つのコンテンツとして『土曜日の天使たち』というものがあった。ABCのラジオパーソナリティを務めていたダマ奈津子さんを中心としたプロジェクトで、知的障害者たちが中心となったクラウン(道化師)チームのパフォーマンスのディレクションを担当することになった。そのチームが『土曜日の天使たち』だった。

 

今考えれば、現在の私とほぼほぼコンセプトは重なるが、この段階で私自身の障害を疑いもしない時期だった。やはり人生は与えられているもので、ちゃんと鍵は渡されていたのでしょうね。

 

そして、そのチームを指導していたのが私の道化の師匠『スマイル白井』さん、彼との出会いが私の一つのターニングポイントになった。予断ではあるが、プロデューサーから話しを受けてチーム作りを始める際に外野から『障害者を笑いものにするつもりか?』と非難されたことがしばしばあったそうだ。そんなさいに白井さんはにっこり微笑んで『ハイ!!』と答えていたそうだ。なかなかの兵。

 

プロデューサーの家で白井さんを交えて3人で飲んだ記憶があるが、その際に『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』という映画のことについて教わりました。クリニクラウンの基となったある医師の人生を映画化したもの。この辺りも説明すると長くなるので各々ググって下さい。

 

今振り返ると、このパッチアダムスという人も間違いなく発達障害者(間違いなく映画の中ではそういうつくりになっている)。周りの誰もが彼が勉強している姿を見なかったのに簡単に試験をパスすることからカンニングの疑いがかかったり…、なにか自分の人生を描かれたような…。

 

まあ、映画の内容は於いておいて、その内容に大きく感銘した私は、この『クラウン文化』というものをもっと世に広めたいと直感的に感じた。当時の私は制作会社でどんどんポジションを与えられていた、自分で言うのも何だが飛ぶ鳥落とす勢い状態だったので、できる気がしていた。

 

ただし、この段階での私は裏方。白井さんをプロデュースしたい、そんな気持ちだった。そんな私がメイクをするようになる経緯は次回以降でお話しようと思います。

 

最後に、この道化の文化と言うものは互いが互いを認め合い受け入れ、互いに笑いあう、ネガティブなことさえ笑に変える一切がポジティブなもの。これを私自身が持てたことで人生が一変した。コミュニケーショントラブルは以前の100分の1以下、いやもっと低いと思う。

 

周りの人から『発達障害のように見えない』とよく言われるが、このコミュニケーションスキルでエラーが少ないからであって、私の中の特性はかなり強いものだと思う。

 

つい先日お会いした冠地情さんのワークショップは演劇のワークショップを基にされているようだが、とても近いもののように思える。道化のトレーニングでコミュニケーション能力は格段に変わると思われる。そのあたりのことについてもおいおいお話したいと思います。

 

今日はここまでとします。