野宿旅の番外編です。旅の後の話をします。

 

旅から帰ってきた私は社会活動の始めにボランティア活動を始めました。自分に興味があること、自然遊び、外国語や外国文化、報道、子供や男性の人権、などなど手当たり次第に探し幾つかのNPOに所属しました。

 

発達障害の自助会活動をしていると、人の役に立ちたいと言う者が少なからずいます。私は二つ返事でボランティアを勧めます。若い人が来てくれる、それだけで歓迎され、様々な役割を与えてくれる。しかし実際にはボランティアをするものは少ないのが実情のようです。人並みの仕事に憧れている人には意味のないことなのでしょうね。

 

私自身はボランティア活動を通して多くを学びました。時には意見が合わなかったり、方向性が私と合わないことで抜けてしまったりもしたが、多くの方と出会い、現在でも顔を会わせると挨拶してくれたりする。

 

NPO団体はやはり社会地位の高い人がリタイアしてされていることが多いので、それが一定の人間関係、人脈と言っていいものを作れたように思える。ビジネス交流と違って善意のボランティア団体なら駆け引き的なものが圧倒的に少なく、心が通じやすい。

 

中には、平日なのに暇している怪しい男と言う目で見る人もいたが、多くは好意的に感じてくれたように思う。人間関係に怯えていた私は、そういうリタイア組みが中心の大人たちに肯定されたことが大きなステップになったと思う。

 

また、これらは現在の私を形作るのに大きな意味を持ったと思います。特に自然遊び。所属した団体は自然観察がメインでそのあたりの物足りなさを漠然と感じていましたが、ゆっくりと自分と語り合う中で、自然が教えてくれることを感じるのは自然遊びだと行き着いた。自身の命の重さと儚さを感じさせてくれたのも自然遊びから。

 

本当にボランティアから得たものは数知れない。現在の発達障害の啓発活動もボランティアだが、この段階でまだ診断は受けていなかったので、そこに飛び込むのはもう少し先の話し。もしかするとことのときに加わっているとまだまだ残る私の未熟さが周りと軋轢を作ったかもしれない。与えられたタイミングなのかもしれない。

 

ボランティアを中心とした生活は2年ほど続いたと思うが、旅を終えて帰ってきて半年くらいたったころにこれらとは違ったボランティアに出会うことになる。そして、それも現在の私を形作る大きなピースになっていることは間違いない。それらについては次回お話しようと思います。