♪一つの地球に、一人ずつ、一つ~

 

小学校の頃に音楽の授業で歌った曲、ゴダイゴのbeautiful name

 

小学生ながらに良い歌だなって思った。生きることの肯定を始めて感じたときかもしれない。

 

時が経って、ある日プロデューサーから今晩あるレストランに来い、との指令。そこに行くとなんとタケカワユキヒデ、あのゴダイゴの。

 

その後、何度かタケカワさんと仕事をさせてもらった。コンサート、ディナーショー、ラジオ収録。そして決まってここ一番で歌うのはこの曲。タケカワさんにとっても特別な曲なのだと思う。

 

さて、先週末の私は御通夜そしてお葬式。前にも触れたが私は親族が多い。中には10年以上あっていなかった人たちも。だけど、ひとたび顔を会わせると時間が巻き戻る。近況報告や昔話、だれそれの結婚式で誰と誰が喧嘩して、あの人の葬儀であいつとこいつがもめて…。いろいろありますわ。

 

通夜は4時くらいまで飲んでました。朝は8時くらいには起床。二日酔いはないが、やはり眠い。目をうつろにしていると、耳の中にいろんな人の声が戻ってくる。懐かしい響き。

 

普段はケイさんと呼ばれている私。過去のあだ名はスージー、年代が替わると色々呼び名が変わる。でも親戚づきあいは私が生まれた日からのもので、そこで呼ばれる名前は本名、最近はあまり呼ばれない。私の名前を呼ぶ声が私の記憶の中で何度も繰り返される。

 

なんだか解らないが心地よい響き。癒される。

 

そこで出てきたのが前述の歌。私の名前をこんなに呼んでくれる人がたくさんいることへの感謝。一人に一つずつ与えられる名前、しかしその名前をほとんど呼ばれないままなくなる者もいる。なんて私の人生は素晴らしいのか?

 

普段から私は自己肯定の大切さを説いていますが、名前を呼ばれることって他からの肯定であり、呼び合うことは互いを肯定すること。自己肯定の弱い人をなんとかしてあげたいと思うのなら、名前を呼んであげることが最善かもしれません。自分の存在を認めない人が名前を呼んでくれるはずがありません。

 

今回のお葬式と、タケカワさんとの出会い、それに至る皆さんに感謝し、私に名前を与えてくれた皆さん、命を授けた両親、皆様方に改めて感謝します。

 

名前を呼ばれるって気持ちいいよね。