旅の最後の朝は駅の待ち合いから始まった、テントを張らず待ち合いでぐっすり寝た。何時に起きたか覚えていない。6時台くらいの早朝。

 
きっと私が寝ている間に数人は改札を通過したのだと思う。たまに私のような人がいるのかもしれない。誰も気にしないのか?はたまた気にはなるが声をかけなかったのか?
 
駅は無人駅、車内で切符の確認をするのだろう。高知にいたときもそんな駅があった。ちょうど夏休みの真ん中、学生もちらほら、クラブ活動に向かうのか?それとも受験生か?
 
大阪までの切符を買う。普通切符。急ぐ旅でもないし、これまで歩いた道を眺めながら帰るのも良いだろう、そんな風に思えた。
 
ホームではやはり学生がちらほら、社会人はほとんど見かけない。やはりこういう地域は皆自分で動ける足を持ち合わせているのだろう。
 
車内に乗り込む。ぐっと寂しさが込み上げる。やっぱりもう一度歩きたくなる。グッとこらえて走り出すのを待つ。動き出す。少しずつ諦めがつく。
 
流石に鈍行はゆっくり、一駅一駅丁寧に止まる。特急通過待ちはかなり留めさせられる。しかし私には全く遅く感じられない。
 
私が必死で歩いた道程をたったの数十分で越えていく。速すぎ。ちょっと待ってくれ!もう少し思い出に浸らせて欲しい。
 
あっという間に潮岬を越えて車は北上する。田辺を越えて、有田を越えて、だんだんと車窓に映る街はどんどん都会化されていく。心地よい夢から引き起こされる感覚。
 
お昼頃には地元和泉府中に到着。ホームに降り立った途端に湿気を含んだモワっとした暑さに包まれる。完全に夢から覚まされた、冷まされた。
 
ただ、都会に降り立つ私に大きな不安はなかった。根拠はないが自分はできる、そう思える二週間だったから。それほど得るものが多かった。
 
実はこの旅で得たものはこの段階でほとんど自覚なく、その後に多くを気づけた。この時はたったひとつ、自分の一歩の重みを信じられる自分を持てた。
 
思い返せば何度も道を間違え途方に暮れたり、そもそもなぜこんな意味のないことをしようと思ったのかと自暴自棄になったり、そして道に座り込み、何度も考えて思い直す。そして新たな一歩を踏み出す。人生はこんなもの。二時間道を間違えば二時間かけて元の場所に戻るのみ。誰を責めても解決にはならない。思い通りにならなければならないなりに次の一歩を踏み出すのみ。生きることはこの繰り返し。
 
大阪に戻った私が次に考えたことは2つ。社会復帰の前にボランティア活動をする事。もう一つは自身の発達障害の有無を確認すること。この2つは現在の私の社会活動の根幹になっている。しかし、この時は迷うことを覚悟での新たな旅立ちだった。
 
今回、多くの方の協力により、ここまでの記録を残すことができた。数年前に下記終わっていれば今回思い出すなかで気づける機会がなかったかもしれない。こんな私のアホな行動を肯定してくれた皆さんに感謝しながら和歌山野宿旅、締めくくります。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。