私は白米大好き、白米と塩だけで一食になります。豆腐や梅干、のり、そんなのがあればそれだけで数日過ごせます。うどんや蕎麦も大好きで、素食な方が豊かさを感じたりもします。
だが一方で、白米はガンガン食べる。一食で一合はへっちゃら、これを3食続けることもできる。それはそれで健康的かもしれませんが、最近少し考えを変えるようにしました。
それはタイトルにある通り、一食で一膳、つまり茶碗一杯で抑えるようにしています。そもそも植物たる白米はいくら食べても大丈夫、そんな風に考えていたのですが、ついつい食べ過ぎているように思うときもしばしばあり、おなかいっぱいにならないと不安だと思う己の思考が貧しくなっているのではないか、と考えたからです。
地球上で毎日腹を思う存分満たせているのは人間と動物園の動物だけ、人間も裕福な先進国といわれる地域のみが食糧難を知らないだけで、栄養失調で亡くなる子供は現在も後をたたない。過去にユニセフ先生を務めていた私はそんな風に子供たちに説明していました。
そんなこともあり、もっと空腹を経験してみよう、そんな風に至りました。
で、一食一膳。
茶碗はそもそも何故この大きさなのか?きっと先人たちがこれくらいの分量を食べ続けたら腹が減っても健康的に生きれる、という微妙なラインを見つけ出したのではないでしょうか?水呑み百姓といわれる人たちは自分たちが生きれるぎりぎりのラインとして、この茶碗の大きさを見つけたように私は考えています。もちろん、絶対にこれを守り抜いているわけではありません。ときどき足りないときはあります。そんな時は、自分に本当に足りないのか、と自問自答して、足りなければ感謝してもう一杯頂くようにしています。
一つ気づいたことなのですが、小食になっても体重ってあんまり落ちないんですね。これはネガティブな考えではない。過去の私だったら食事制限すれば確実に体重が落ちていました。きっと今はもうあまり落とせるところがなくなってきているのでしょう。ゆっくり体重変化している。きっと、必要な分をしっかり吸収してくれているのでしょう。
まだやりだして一週間くらい、まだまだこれからも色々気づかせてくれるように思います。
一食一膳、空腹ありがとう、な私が続いています。