小説『走れメロス』では、メロスの変わりに身代わりになって投獄された友人は期限近くなっても帰ってこないメロスを信じ続けます。彼はきっと帰ってくる、いや、帰ってこようとしている。きっと何かあって遅くなっているだけだろう。
案の定、メロスは友のために必死で帰ろうとするが、フィクション小説にありがちな度重なるトラブルで帰ることができない。
メロスを待ちわびる友は、自分が彼のために処刑されても、メロスが自分を裏切っても、それでもメロスを信じ続ける。そう述べます。結果的にはその友情が王を感動させ二人ともに許されることになるが、信頼と言うものは相手が裏切ったとしても構わないと言う揺るがないものだと諭している。
話は打って変わって『ルパン三世』、絶世の美女ミネフジコはあの手この手でルパンをけしかけ利用しようとする。それを知ってか知らずかルパンはいつもフジコに遊ばれてしまう。ルパンもフジコも互いのした心を利用しあっているのかも。
そんなミネフジコのような絶世の美女、男だったら一度はだまされてもいいから恋に落ちてみたい、なんて思いますよね。すごい下心。でも、相手にだまされても構わない、と言う気持ち、メロスの友と同じかもしれない。実は騙されてもよいと言う受け入れは最高の信頼関係なのかもしれない。
現在の私の仕事は仲人カウンセラー。結婚相談業務がようやく開業できそうな状態。毎日、いろいろと準備する中で、男女の信頼や価値観と言うテーマがよく上がります。
そんなことから先ほどの話に行き着きました。アバンチュールは実は許しあう、受け入れあう、最大の信頼の現われかも。
まあ、こんなはなしを会員さんにまじめにする訳ないですが。