雨続きでしたがようやくスカッと晴れましたね。

おはようございます。ズレてる当事者ケイです。
普段はズルい福祉職員として働いています。
さて、先日案内した夏の終わりのイベント、冠地さん、ばっしーくんの知名度に支えられ、ネット上では物凄い反響になっているようです。当日は多くの方々とお会いできるのを楽しみにしています。
さてさて、今日はその内容について予習的に進めたいと思います。といってもパネラーさんと今だ一切打ち合わせなし。ばっしーくんとはちょこちょこ合うし、まあだいたい何言いたいかわかるから、まっエエか?
一応、イベント進行は私が務めます。今年は鮎イベントでもマイク握ったし、ブルーチャレンジでもパネラーやったし、今回も影ディレクターじゃなく表司会。完全に風向き変わってきてるな。
話を本線に戻す。
今回のテーマ、当事者発信の支援のあり方を探ろうと言うもの。そのきっかけとしてズルい当事者とズレてる支援者に焦点を当てようと思います。ネット上ではこのコピーのセンスが尖ってて良いと上々の評判だが、元は冠地さんからのズルい当事者というお題にバッシー君がズレってる支援者と被せてきたもの。それを逆算的に今後の未来像に繋げようと私が提案しました。
バッシー君的にはズルい当事者の意味がピンと来なかったみたいだが、私は冠地さんの意見に大いに共感。例えば、都合の良いときには個性だと主張する事柄が都合が悪くなると障害だ、という表現。こんなことを言っている間はどんな支援もほぼほぼ無意味。支援とはその人を変えるのではなく、変わろうとするものを手助けするもの。自分は今のままで、社会が自分の都合の良いように変わらなければイヤだ、そんな人に施せる福祉はあるのでしょうか?
バッシー君の考えとしては、当事者というのはそういうものだから、あまり疑問にさえ感じなかったらしい。逆にしてはいけない支援ばかりしている支援側に疑問を持ったらしい。確かに、先の例でも上げたように、前を無理矢理向かせるのが福祉だと勘違いしている支援者、事業所が圧倒的。ただし、障害自体の理解が低い支援側がこうなるのは当たり前で、私が逆にそういうものだと感じていたことでもある。
私個人としては、私のような当事者である支援員の数が増え、その声に耳を傾ける社会を構築しない限り何も変わらないと思う。私の会社では社長もサビ管も、まず私に意見を求めに来る。当事者自身がスキルアップすることで確実に組織は変わって行く。
この辺りが私の苦悩でもあり、職場での理解は絶大にあるが、社会の中に全く活かせない。
この辺りの事を彼らと意見を深めていこうと思うが、先にも述べたように打ち合わせはまだこれから。もしご両人が目を通してくれているなら、この辺りから掘っていきたいと考えているのでよろしく!
皆さんも予習として考えてみてください。ご意見等あればお寄せください。では当日お会いしましょう。
