発達障害コミュニケーション指導者
googleで『発達障害』『コミュニケーション講座』で検索すると上の言葉がいくらでも引っ掛かってくる。過去の私の講座が少しはヒットするかと思ったが、全くチップすらしない。
で、この発達障害コミュニケーション指導者って誰?そんな人今まで会ったことない。この指導者を養成する機関、今まで聞いたこともない。そしてその指導者の基、社会でバリバリ働けているなんてどこにかすりもしない。
今や和泉ハッタツの代表者となった私ですが、これまで活動してきた堺は日本でダントツのピアカウンセリンググループ。開催回数も参加人数も一地方都市でありえない大きさ。かつ、ここでのリーダーをはじめ多くの参加者が当事者活動を通じて社会復帰を多く果たしている。こんな場所へのリサーチなくしてよくそんな名前を名乗れるものだなと、あきれ果てる次第です。
発達障害に関わらず巷にあふれるコミュニケーション講座はどれもマナー的なものに従事したまるで薄っぺらいものばかり。マナーの成り立ちさえ知らない。そして、受講者たちはそんなものでうまくいくわけはなく、これでだめなら次はあれ、的にたらいに回されやせ細っていく。きっとそんな構図なんでしょうね。鬱に陥る前の私がそんなだった。
私の周りでも常々コミュニケーション講座の復活を望まれている。理由は簡単。まず、当事者による講座であること。苦しみを共有できないものに何を指導できるでしょうか?オリンピックスイマーに泳げない辛さが解るだろうか?そんなの簡単にできるよ、で終わってしまうのでは?そしてもう一つの理由、それは話が理解しやすいということ。解りやすい人の話は誰だって聞きたいでしょう。
そんな訳でコミュニケーション講座の概要を練っているのですが、なかなかフォーマットが仕上がらない。単発ものでは受講者側のバックボーンの共有が低いので回り道が多い、シリーズものはシリーズならではの難しさもある。それ以外にもああすればこれが困りこうすればそれが成り立たない的な行き止まりばかり。
そんなこんなで一所懸命やってる最中ですが、上記の言葉があまりにも気になってしまったので休憩がてら文字にしてみました。
仕事します。