みなさんご存知でしょうが、私ケイは発達障害当事者の道化師。

 

子供の頃からコミュニケーションって得意じゃなかった。好き嫌いが激しいから。学校でもクラス以外に友達がいて、休み時間はいつも他の教室に行っていた。仕事もきっと能力的に問題になったことはほとんどなく、2、3年働けば一つの部署を負かされることが多かったが、人間関係にはいつも苦しみ仕事が長続きしなかった。だから制作系のフリーランスって丁度良かったんだよね。家で引き篭もり状態でもたまに仕事あったらいけるし、家でできる仕事や、何もなくてもスキルを高めるのも将来の仕事みたいな文だったから。

 

そんな私が、いやまコミュニケーション講座みたいなのをやっている。他にアンガーマネジメントや自己表現や自己プロデュースなんかも。この数年間、人間関係で大きく悩んだことは本の数えるほど、かつそれが1週間以上続いたことは10年位ない。

 

以上のような経験を踏まえ、コミュニケーション講座やワークショップを開いていきたい、最近そんな風に感じるようになりました。特に福祉関係者と婚活中の方を対象に。丁度、先日音楽で街と福祉を盛り上げようという企画に乗らせてもらったので、そことリンクしていけば何となく形になりそうな気がする。

 

これは学習塾を開いていた頃に痛感したのだが、私の塾では子供たちはのびのび、授業が終わってもなかなか帰らない、私にはタメ口で言ってくるが全然尖っていない、私もよく子供たちをからかっていた。時間はかかるがのびのび育てれば自分自身で勉強しだす。その確信はあったが、それを邪魔するのはいつも家庭と学校。私の場合は理解のある家庭が多かったから苦労しなかったが、学校とは接点がないから手が出せない。しっかり子供たちに自分らしく振舞って良いよと入れ込んでも、学校(特にクラブ活動)から戻ってくると、まるで個性のないサラリーマンみたいになってる。そこにまた魂を吹き込むように子供たちを組成させる。みたいなのの繰り返しだった。

 

同じような経験は福祉の現場に来てからも日々感じる。利用者をのびのびさせて上げられる福祉職員の少ないこと。いや、のびのびさせることとわがままを通すことの違いが解っていない。

 

道化師ってね、デビューのときみんな緊張するんだよ。とくにグリーティングといわれるストリートでのフリーパフォーマンス。突然会う人が茶化しやヤカラだったりすると収集つかなくなる。そして誰も助けてくれない。そんな恐怖を最初はみな感じるんだよ。

 

福祉の現場で、利用者がいうこと聞いてくれなかったり、難癖をつけられたらどうしよう、なんていうのと同じ。問題行動の多い利用者だとついつい構えちゃうでしょ。

 

でも、本当の道化の力ってそれを受け入れるところにある。茶化したってヤカったって構わないよ。そんな君に全然構わないから。という受け入れのマインドが育てば茶化したりヤカられたりしなくなる。ほんま。だから私は福祉の現場でも学習塾のときのように皆のびのびしてるし、私を弄ったりする利用者も多い。もちろん私も弄りまくっている。細かい表現で言えば問題となるようなフレーズもあるかもしれない。でも互いに信頼があればなんら問題ない。

 

もちろん、道化のトレーニングなんていっても、講義やワークショップを数回受けたくらいでは何も変わらない。もっとも大切なのは己との向き合い。トレーニングから与えられる自分の課題に向き合ってゆっくり気づいていくもの。トレーニングの回数よりも向き合いの時間が最も大切。

 

でも、これができると職員として楽になる。コミュニケーションが上手になると利用者との関係もよくなる。利用者も明るくなる。いつも言っているように利用者を自分の都合で変えようとせず、自分自身を高めていけば自然に周りは変わっていく。これを実感することで周りも成長する。毎日楽しく過ごすだけで自分も周りも成長する。これが私が伝えたい本当のコミュニケーション術。

 

ただし、私自身は道化からコミュニケーションを学んだのではなく、基本的に自分のスタイルを確立、確認するために道化の世界に足を踏み入れた。もちろんそこから学ぶものも多かったが、ただ人を笑わせたいと思っている同僚とは世界観が違う。もっとも、笑わせようという支配心を持った道化師は誰も笑わせることはできない、けどね。

 

私が本当に伝えたい真のコミュニケーション法を道化といういわば偽な道具を借りて行うというのも面白いね。私自身は普段のケイが自分を偽る下らん社会人で、本当の私がすーじーくんなる道化のように感じていますが。

 

今日も朝から長文になってしまった。

 

実はもう一つやりたいことがあって、それは次に話そうと思います。とりあえず福祉職についている皆さん、福祉職を視野に入れている皆さん、是非ご参加くださいね。

 

詳細は後日