先日は自助会でした。時間開始当初、何故かリーダーばかり、まあリーダー会もいいやん、みたいに話してたら19時前に立て込むように参加者が…。あっそうか、例の奴ね。そう、我が主宰者、ビシバシピロリ君の告知ミスで、勘違いした参加者が多かったのか、一応修正は入れたが、その前に情報収集していた人が多かったんだろうね。まあ、ハッタツさんのミスなんでそこは多めに…。
さてさて、昨日の自助会での一つのテーマ、先送りをしてしまうのをどうにかしたい、というもの。
まあ、よくあるテーマの一つ、とりわけって物でもない。時間も終盤だったんでゆっくり話さず、駆け足的に、結論から。
先送りをしてしまう人のほとんどは部屋が片付かない、だって、出したものを直すことを先送りしてしまうから。部屋の中の簡単に直せるものさえも先送りして、何かのついででいいや、なんて思っているのに、大切なことを全て先送りせずにできますか?何事も基本が大事。簡単なこともできないのに難しいことができるわけがない。まぐれでできることがあっても何度も何度も続くわけがない…。といういつものをいつもの感じで話しました。加えてそのトレーニング方も。
トレーニング方法は超簡単。文字をゆっくり書く練習を繰り返す。ポイントは、一角一角丁寧に。一旦ペンを紙の上に落とした段階でしっかり止めて、そこから線を描いた後ももう一度ペンを止める。この止めるのって焦りがちな人にはできないんですよね。で、この止めること自体が振り返り、今自分が行ったことをその瞬間に振り返る。出したものを確り振り返って片付けるのと全く同じ。こうして振り返り我で斬るようになると、物事から目を背けなくなってくる。ようは向き合えてる状態。先送りしてしまう人は見たくないものから目を背けてしまう。だからしないといけないものが後回し後回しになってしまう。まさに先送り。そして振り返り我で着ないからミスが増えてしまう。いや、ミスがあっても振り返った瞬間に修正できてしまう。その修正できるタイミングを放棄して先に進むからミスに気づかない。
先日、結果主義な人ほどミスが増えると話したのも全く同じ理屈。
なので、文字をゆっくり丁寧に一角一角止めて書けるようになると部屋が片付くようになる。振り返りができるから軽微なミスにすぐ気づき対応でき、ミスが減る。心に余裕もでき、目を背けることがなくなってきたら先送りもなくなってしまう。
実のところ、私も先送りは毎日のようにしています。ただ、それが問題にならないだけ。期限ぎりぎりで先送りするのではなく、もっと前の段階で先送りしているから。私だって目を背けた鋳物はある、向き合えないときも頻繁にある。だからそれを受け入れて向き合えない自分と向き合う。たいていは一晩立つと向き合えるようになる。そうしていると周りからは先送りしないように映るのだろう。
これまで、文字のトレーニングを自助会など多くの場所で説明してきたが、いったいどれほどの人が試しただろう。いや、試し続けている人は皆無かも。というか、そもそも先送りしてしまう人、私が提案する方法も、そんな簡単なこといつでもできるくらいに思って先送りしてしまってるのでしょうね。目の前の単純なことにさえ目を背けているのにミスも減らないし、部屋も片付かないし、そもそも先送りしている人が先送りしなくなる分けないよね。
文字トレーニングは言ってみれば写経と同じ。写経だって、基になっている経典はサンスクリット語でかかれたものに音の合う漢字を当てはめただけで、漢字に何の意味もない。サンスクリット語がわからなければただの呪文、でも意味があるというのはきっと私が見つけたものとないような同じなんでしょうね。いやはや、どんなことも前向きにやり続ければ自分で見つけられるのだろう。
先送りしないことを先送りする人にはいくらアドバイスを贈っても先送りされるだけだろうね。誠に残念。