何故に皆、基本を疎かにするのでしょう?基本ができないのに応用ばかりしたがるのでしょう?
毎日福祉の現場で働く中で、もうこれでもかと言うほど頻繁に立ちはだかる問題、それが上記のこと。
答えは簡単なんです。自己を肯定できないから。自分自身が至らないことを知っているから。いやいや、自己否定な自分や至らない自分を認めたくないから。結局は受け入れられないから。
ある仕事に時間がかかってしまうとそれで能力が低いことがばれてしまう。だからできるだけ速くしようとする。自分の能力以上に。そしてそこには一瞬たりとも止まらない焦りが生じる。スピードを上げようとするとミスをする。あたりまえ。しかし遅くては自分の能力の低さを露呈してしまう。つまり、自分の能力以上の仕事をしようとするからミスをする、ごくごく妥当な結果。裏返せば、仕事をなめていることになる。
過去に学習塾を経営したときにも同じようなことを感じた、頻繁に。しっかり基礎ができていない小学生に、一つ学年を戻って基礎固めをさせようとすると、自分を否定されたように感じてフリーズ状態に陥りそうな子供を多く見た。
結局木曽を疎かにする人って、基礎をやることは馬鹿にされているって言う風に勘違いするみたい。しかししかし、プロ野球観戦に行ったら見てください。フォーミングアップやイニング間のキャッチボールなど、プロと呼ばれる人たちは基礎をしっかりやっている。アマチュア以上に。基礎なんてしなくてもアマチュアより数段レベルが高い彼らが何故そこまで基礎にこだわるのか?結局はそこに方絵があるのが分からないのかな?
プロと呼ばれる人たちは私たちが信じられないようなことを簡単にやってのけてしまう。そういうのに憧れて、ついつい私たちは形だけまねてしまう。しかし彼らの華麗さやギャンブル的な選択は毎日の基礎の上に成り立っている、そう思いませんか?
あなたはジャンケンで5回連続勝つ自信がありますか?たまたまじゃなくて、必ず5回連続で。そんなのありえないですよね。ギャンブルなんて良くて50パーセント。そんなものを複数回やるからミスが出る。人生のギャンブルなんてきっと数える程度のこと。毎日毎日、基礎を繰り返し、しっかり自分を高めて、たった1回のギャンブルに望む。もちろん基礎をしっかり固めたほうが勝てるチャンスは広がる。
まずは、己を受け入れる。できないことはやらない。できることをしっかり繰り返す。できることの中に改善点はいくらもあるはず。それを一つ一つ見つけていけば自然に基礎は固まる。そうなればギャンブルなんて安易にしなくても余裕を持って目の前のことに向き合えるようになる。
ギャンブルなんて一度きり、その覚悟を盛っただけで人生の景色が変わると思うよ。