毎月10日は障害者ドットコムへのコラム提出の日です。いやいや、公開の日なんでその前に渡しとかんなアカンねんけど。

 

毎月いろいろ考えてるけど、いろいろストレスありますネン。て、今日はグダグダ口調やな。ホンマにいろいろとありまして、結構メンタルすり減らします。

 

まあ、そのあたりのことはエエとして、今月のテーマは何にしようか、そう考えていて思いついたのがHSP。ハイパーセンシティヴパーソン、感覚超過敏、そんな風に言われている、最近耳にしだした言葉。発達傷害とも関係が深いとも。

 

実は実は、数年前に渡しも悩んだんです。自分の心も身体も過敏すぎて過敏すぎて、だから社会でうまく溶け込めないんだって。ちょっとしたことに反応してしまう。それがこころから離れない。メンタルだけじゃない。超過敏アトピー体質だし、聴覚過敏、色彩過敏、その他いろいろ…。

 

ただ、だから良かったこともあるんです。今思えば、だけどね。

 

私がいきなりスタジオミュージシャンになったのは聴覚過敏のおかげ。何せ、人の声色だけでおよその心理状態がわかる。楽器の音でさえその人の人柄が感じられる。同じフレーズでも、タイミングが同じでもやさしさや強さ、心の歪みなどがグラディエーションのように感じられる。同様に映像やデザイン系でも色彩過敏的な要素が経歴を作り上げたと思う。メンタル的な繊細さが制作の現場で大いに活かされたのだとも。

 

しかししかし、それだけじゃなかった。もっと大切なことがここ数年で感じられるようになった。それは、人の器。器の大きい人って許容量が大きい、つまり過敏でない、そんな風に思っていたけど、敏感でない人ってただ鈍感なだけ。器の大きい火とって人の辛さや悲しみがわかってそれでいて許容量が大きい。

 

傷の痛みの分からない人が本当の強さや優しさなんて手に入れられるだろうか?

 

痛みが分かるからこそ共感できる。だから人は心を開く。しかしそんな人になるのはたやすい事ではない。やはり時間はかかる。だから私は発達傷害を持ったことと同様に感覚過敏であったことにも感謝できるようになった。自分自身で器なんて測れないし、周りから笑われる程度だろう。しかし、私自身は毎日心の傷を感じ、感謝することで己を磨いている。自己満足だけど。

 

このあたりのことをコラムにしようかな、そんな風に感じたのでしたためてみました。