ここのところは自動車事故で犠牲になった子供の話で持ちきりですね。
私は基本的にはニュース素材はイギリスから仕入れるので日本のニュースには大変疎いのですが、今回の事件は耳によく入ってきます。
だからと言ってワイドショーに目を向けることはないですが、おおよそは「こんな事件が絶対起こらないように一刻も速く自動車の安全性を高めて欲しい。」なんて大真面目にコメンテーターたちが視聴者からの共感を獲られるように努力しているのでしょうね。
まったく…。
私も被害者やその家族がこれ以上ない悲しみに包まれていることは承知しているし、こんな惨劇を見たくもありません。
しかし、だからこそ私がすべきは日頃の安全運転、そして余裕ある行動。
私が住む和泉ナンバーど真ん中の地域は運転マナーがダントツワーストといっていいような地域。毎日殺人鬼のようなドライバー、ライダーを嫌と言うほど見かける。
何故に皆あんなに横柄になれるのか?理由は様々あるだろうが、簡単に操作できるようになったことも大きな要因ではないだろうか?
私は先月からミッションの単車を運転するようになったが、実に面倒なこと。また、高速道路を走行するのが二輪車にとってどれほど危険かをこの連休中に思い知ったところ。いつ我が身が滅んでしまうか、言い換えればいつ他人を巻き添えにしてしまうかわからない恐怖の中で毎日ハンドルを握っている。危険だと思うからこそ安全に努める。
自動車の安全性が高まれば高まるほど、安全だから大丈夫、という甘えが生じる。乗りやすくなるほどに未熟者が割り込んできて、成長しようとしないどころか、我が身の未熟ささえ知らずに身勝手な運転をする。
そんな風に思いませんか?
残念なことに事故がこの世からなくなることはきっとないはず。安全性が高いほど事故の被害も大きくなってしまう。
私は安全な乗り物がどれほど危険かをほんの少し知っている。安全という言葉の危険性も。
同じような事件が起こらないよう、安全という危険をより多くの人に知ってもらいたい。心からそう願います。