世の中には自分のことしか考えていない人が大勢います。目先の利益になりふり構わず他人を押し退けて行動する人、少しのスペースでも割り込んでくる人、いつも自分ばかりが損をしている、と常に周りを妬んで責める人、などなど。

 
そしてそういう人たちを忌み嫌って憎む人々。
 
釈迦はそういう人たちを餓鬼であると説いている。餓鬼とは常に飢えに苦しみながら目先の食べ物を独り占めしようとするものの、それまでの行いにより食べることができない状態になっており、その苦しみから常に心は苛立ち他を妬み続ける…。
 
読んで字の如く餓え苦しんだ鬼そのもの。
 
そして餓鬼を憎むものもまた餓鬼であるとも。
 
私たちの社会にはこういう人たちが多くいるが、そういう人たちを憎むと道連れの如く同じ境遇に引き込まれる。最も良いことは彼らを哀れんであげることで、助けようとするとこれまた引き込まれるのだと釈迦は言っている。
 
悲しむことができないならせめて関わらないことだと、私はそう思う。
 
この2ヶ月ほど、ある人を見ていてその事を強く感じた。自分勝手に周りを振り回し続けて、どんどん火種が膨れ上がっていたが、上記のように哀れむこと、もしくは関わらないことを周りの人たちに勧め、決して憎まないことを伝授すると周りとのトラブルは一気に沈下して、まるで一人相撲のように窮地に追いやられていった。
 
それにしても釈迦はうまく例えたものだと感心する。そして3000年も前から人の心はまるで成長していないものだ、とも。
 
きっとあなたの周りにも餓鬼は存在することでしょう。そういう人を憎んで同じ道に引きずられることの無いよう、しっかり哀れんであげてください。またはあなた自身が哀れまれる存在でないか、もう一度振り返ってみてください。
 
残念ながら餓鬼は自分が餓鬼であることに気づけないようではありますが、