最近のYouTubeのお気に入りはラフィンノーズ。大阪が生んだ日本のパンクのパイオニア。世代的にもど真ん中、と言いたいが、実はこれまで全くスルーでした。

我らはヘビメタ世代のギター小僧たち。こと大阪でエレキギターを持てば即ちラウドネス。BOOWYみたいなのやってると「チャラい」と白い目で見られた。ましてやパンクなんてのは日本では北九州で盛り上がっていたこともあり、もはや「敵」のような存在だった。

実は私は上記のようなの全て素通り、だって我が道を一人行く発達さんですから。ひたすらアメリカンハードな甘い音にハマってた。だけどやっぱり周りの影響もありパンクに馴染むことはなかったんです。

その後もスタジオワークをこなしていた時もブルースやジャズ、ハワイアンなどの「大人びた」音楽で評価されていたので、パンクを「子供染みた」感覚で見下していた私が交わることは無かった。

それが、何故?そして今?

結局はたまたまYouTubeで目に留まったのだが、心に残るものがあった。それは歌詞とかメッセージとかそんなじゃない。そこに自由があったから。私自身が道化師としてパフォーマンスしているときの心の自由にとても近いものを感じた。他のパンクバンドにはない、ラフィンノーズオンリーな自由さが。

私の道化は最近は全く楽器を取り入れていない。デビュー当時はギターがトレードマークのような存在だったのに。恐らく元スタジオミュージシャンのクラウンなんて世界中に私しかいないだろう。当初からそれがアピールポイントだったはずだが、何か心の中に蟠りがあった。そしてパフォーマンスから楽器が消えていった。漸くその答えが解った。

それは音楽への拘り。

自分の音楽を余すことなく発揮したいという気持ちが自分の心を窮屈にしていた。これまたハッタツ特性のようなものですね。そして心の自由が奪われていた。

やっぱりパンクを見下していたんですよね。「あれは未熟な人たちの音楽」という風に上から目線で見ていて、決してそこに降りようとしなかった。それでいて自分のステータスを見せつけようとできもしないことに拘って、そして何も出来なかった。

考えてみればパンクって単純でエネルギッシュで解りやすい。かつ自由度が高い。パフォーマンスにぴったり。特にスージー君のキャラにどマッチ。そして、それだけに盛り上げやすい‼

自分の下らんプライドがこんなに自由な世界から目を背けさせていたんですね。

音楽は音を通して楽しみ会うもの。私にとって最強のツール。「高い音楽性を表現したい」 などという「個人の低い志」をとっとと棄てて、もっともっと、更に自由な大海原に漕ぎ出せそうです。