毎日が充実で時間が足りてません。ブログ更新がついつい後回しになってしまいますが、お話ししたいことは沢山あり、覚えておくのが大変です。
さて、私の読み通りGWの辺りから自助会の参加者が増えてきているようです。私が担当する会も初参加が多く、沢山の困り事を聞かせて頂きました。私の会は参加者同士の交流や会話よりも、進行と参加者との会話の要素が強い、これは私自身がマイケル・サンデルの白熱教室の手法を取り入れているからだと思うが、参加者のほとんどから「聞いてほしい」「解って欲しい」「愚痴りたい」という気持ちよりも「学びたい」「自分の何かを変えたい」という意識の強さを感じます。
今回も多くの悩みごとが寄せられましたが、参加者も多く、初参加者の話しに時間を割きがちになるので、全ての話題に触れられないと判断し、全部の話題の共通部分にフォーカスして進めました。
その共通項は「不安」
コミュニケーションが下手で困っている
単純なミスを繰り返す
感情をコントロールできない
など、困りことは様々ですが、全てその奧に「叱られる怖さ」「馬鹿にされる怖さ」などから来る不安があるのではないでしょうか?その不安に押し潰されそうになるから二次的に様々な問題を起こし、どんどん窮屈になっていくのではないでしょうか?
巷では大学アメフトの悪質タックルが問題視されています。ことの真相はわかりませんが、反則を繰り返した選手はきっと長い間不安の中にいたと思われます。不安のストレスに晒され続けるとあんなとんでもないことでも正悪の判断がつかなくなります。
自助会に来る多くの人たちも、程度の差はあるでしょうが、判断基準を同様に見失ってしまい勝ちではないでしょうか?
自助会ではここから先の、不安への対処法について話しましたが、今日は不安が何故存在するのかをお話ししましょう。
不安には2つあると思います。一つは生命の不安、もう一つは自我の不安。森で蛇に睨まれたら誰だって不安に感じるでしょう。たった一人で小舟で漂流しても同じでしょう。自身の生命が危機に晒されたとき誰だって不安に感じるものです。
しかし、自助会での悩みの奧にある不安は生命の危機でしょうか?「仕事をクビになると生きていけない」なんていう人もいますが、失業手当だって生活保護だってある。貯金があればニートしたっていい。
自我の不安とは、即ち認められないことの不安、と言い切ってよいのではないでしょうか?人は誰だって認められたいものです。認められて気分を害することは希です。
ここで一つ、ある本で読んだ話を紹介します。過去にある陸上選手が自殺したという話。彼は子供の頃から足が速く、将来を嘱望されていたそうです。やがて彼はオリンピック選考に選ばれたが、結果的にはオリンピック選手には選ばれなかった。悲観した彼は「自分のような足の遅い人間は価値がない」このような書き残しを残して去ろうとしたそうです。
社会一般の基準から考えて、彼は決して足が遅くない、いや極めて速い。しかし彼は自身を認めることができなかったのでしょうね。子供の頃から周りからもてはやされて、オリンピックに出ることを当たり前の目標として、きっと不安や重圧の中で走り続けていたのでしょう。
世間一般では夢や目標を持つことは全肯定的に扱われます。私も過去にこのblogで夢を持つことの素晴らしさを何度も説いてきました。しかしどんなものにでも表裏はあります。メリットの大きなものほどリスクも大きい。夢や目標を持つことの弊害は必ず存在する。
あなたの心に存在する不安とはどんなものでしょうか?自分を無理矢理保たせるために変なプライドをもったり、できもしない目標設定をしたりしていませんか?自分のマインドセットで感じなくなる不安もきっとある、いや社会生活上の不安はきちょほとんどがこれ。
もう一度、自分の心と向き合って見ませんか?