最近は母親から「あんたはどんな事でも知ってるなぁ!」と言われることが多い。職場やその他でも概ねそのように言われます。
過去には小一から中3まで、義務教育の主教科全てを塾で指導していたので、当たり前と言えば当たり前かも。いやいや、所詮は義務教育程度の知識はあって当たり前かも。
もし私が人より多くの知識を有しているなら、きっと私は他の誰よりも知らないことが多いのだと思います。
自分が知らないことに気づけない限り知りたいとは思えません。ただ単に知識欲の強い人は己の知識の低さに劣等感を感じている人がほとんどでしょう。本当に物事を知っている人は己が知らないことを心から悟っているはずです。
これまたソクラテスの無知の知そのもの。
そして知識というものは限界がある。これは単純暗記と同じ。物事を知っている人はその知識のあり方そのものを知っているので記憶を留めておく必要がない。必要な知識は己が有している本質から自在に引き出せてこれる。これは関連暗記と同じ。
つまり、自分が知らないことに気づけることでその先にある本質に一歩近づける。本質に近づくにつれて無駄な知識をどんどん捨てられる。物事の論理性が見えてくれば知識なんて覚えておくに値しない、言わば当たり前のこと。
そういう人の方が周りからは知識が深いという印象を感じやすいのでしょうね。
本当にあなたが知識を欲するなら、あなた自信が知らないことをどんどん見つけてみては如何でしょう。そしてその知らないことの本質、つまり知らないものそのものが何であるかを考えてみては如何でしょう?
時間がかかるかも知れないが、所詮は単純記憶なんて新たに覚えた分だけ古い知識が逃げていくだけだから。
これまた無知である自分との向き合い、知識欲との向き合いそのもの。くだらん本なんか読むより向き合った方がよっぽど学べるとお思うよ!