イチロー選手の今シーズンが突然に終わってしまいましたね。とても残念です。しかし彼のことだから来期のシーズンに向けて既に準備中なんでしょうね。
ベースボールファンに限らず多くの人にとって彼はヒーローであり、憧れの存在ではないでしょうか?
一般に夢や憧れと言うものはポジティブなもののように扱われますが、ここ数日の、こと連休前からの私にとってはかなりネガティブな響きに包まれています。
私の経歴をご存じの方も多いでしょうが、自分でも信じられないほどの経験とほとんどの人が見ることができない世界を幾つも見てきました。杉浦太陽くんのマジの寝顔をみたこともある、仕事でね。
思えば私の人生は数えきれないほどの夢と憧れをひたすら追いかけ、本当に嘘のように叶えてきた。これこそが私の存在証明と言わんばかりに。
しかし、それらを裏返すと劣等感との向き合いそのものだったと思う。自己肯定できていれば、己に自信があれば、夢は叶わなかったかもしれないが、大切なものもたくさん失わなかった、きっと。夢や憧れは見下しでもあり自己否定でもある。
私自身、外国人に臆することなく英語で話せるようにようやくなれてきたが、そもそも英語を学ぼうと思ったのは語学が苦手だった劣等感を克服したかったから。つまり英語が話せないとバカに思われる、そんな思いが心の奥底にあったのだろう。
そこそこ英語が話せると駅や観光地で困っていそうな外国人に気軽に声をかけられるようになった。彼らに感謝される喜びもあるが、やはり英語を話せる優越感が私の心を支配してしまう。この優越感は英語を話せない人への見下しそのものでもある。
考えてみれば、泳げない自分に劣等感を持っていたから今も泳ぎ続けている。ちやほやされたくて楽器を始めた。子供の頃によくケンカして泣かされっぱなしだったから格闘技にはまった。楽器と格闘技はその劣等感も優越感をもほとんど感じなくなり、水泳も最近は泳げない人を何とも思わなくなってきた。つまりそれほど憧れを感じなくなってきた。でも外国語はまだまだ憧れを抱いている。きっと結果的にはこの思いがあるから思うように上達できないのだと思う。
こんな感じで最近の私は己の夢や憧れと向き合い、吐き気を感じるほどムカムカしている。
勿論、夢や憧れが己を高め、更に今日の気づきを与えてくれているのでそれ自体も否定はしない。
真の自己肯定とは自己否定的になっている自分自身も肯定できるものだから。
でもその憧れが自身を苦しめるものにもなりかねない。
イチローに憧れを感じる人は今一度振り返ってほしい。イチローが素晴らしい存在だという思いが、今のあなたを否定していないかを。憧れが見下しになっていないかを。