よくテレビである知識さえあれば頭良さげに見える一連の番組、あれ、どうにかならないものでしょうか?
先日も読み間違いしやすい漢字をたくさん出して全問解ければアナウンサー並だとか、全く下らんことをやり続けてますな。
元々明治維新以前は漢字の読み方なんか統一されていなかったんですよ。だって江戸時代は潘によって教育方針も方法もまちまちだったし、地域で言葉が違ったし、当時は京の言葉が最も都会的だったろうけど、その言葉が地方に拡散するにつれ都会的でなくなるから、京の人々はもっと都会的な言葉を作り出してしまう。どれが正解なんかじゃなくてどの言葉が新しいとか洒落てるとか、きっとそんな感じ。
王政復古されて富国策の一環として初頭教育が始まり、そこから日本語が統一され出した。つまり官僚主導によって日本語が統一され、そこに正解不正解が生じただけ。その後ラジオやテレビ等のメディアの普及に対応しどんどん簡略化されていき、昔の意味合いとどんどん離れていく言葉も作り出された。
そんないきさつも知らずにただ教えられたことが答えられて鼻高くいらっしゃる方々の無知ぶりと言うか、傲慢さに飽き飽きしてしまいます。
上記の言葉の変化は日本語に限ったことでなく、世界中に植民地を持った欧州列強はもっと大規模に変化させていっているようです。
これは歴史でも同じ。もはや教科書に書かれていることが不変だと思っている人はいないでしょうが、何かの史実をもとに編纂されているだけで、解釈や史実の信憑性でどんどん変化していく。そんなものをただ知っているだけで知らない人間を見下すなんて、全く無知な人にしかできないこと。
逆にそういう知識人を崇めたてている人たちも全く同じ穴の…。そう思いませんか?
因みに中学生の試験問題を全教科満点を取れる自信のある人はいますか?私は主教科全てを塾で指導していましたがそれでも怪しい。でもね、所詮は義務教育なんですよ。できて当たり前。そんなことさえできない人が知識の低い人を馬鹿にするなんて全くそっちの方が馬鹿馬鹿しい。
知らないんだったら聞けば良いし教えてあげれば良い。知識が多い人は知識が多い、ただそれだけ。人間的に上でも下でもない。頭の良い人と言うのは知識を生活のなかにいかせられる人のことじゃないですかね。
因みに私は10年以上知識が浅いと言われたことがない。だけどそれがなんの意味があるのか?
何度も言うが知識は根拠があって、かつそれが活きて、そして初めて意味をなすもの。そろそろ知識毒教育と離れた価値観が根付き出しても良さそうなものだが…。