自助会活動に関わりだした頃は一人でも多くの発達障害者を助けたい、鬱で苦しむ人たちの支えになりたい、そんな強い意思を持っていました。皆が幸せになる世の中こそが私の理想でした。
この活動も2年半を越えて、私の中に大きな変化がありました。と言っても理想を諦めたわけではありません。理想を追求すればするほど人を助けること、心の支えになることの限界をかんじました。
私自身も長い鬱から一つずつ、遠い道のりを一歩一歩と噛み締めて歩んだところに今の幸せがあります。何気ない毎日が掛け替えのないものであることを知るのの10年以上の時が必要でした。
結局はこの過程を省略して答えだけをいくら伝えても無理があるようです。
自助会活動を始めて初めに困ったことが身体が支えきれないほどの依存症の人たちからの助けの声。助けたいのは山々ですが、欲しい欲しい病の依存症の心を満たすことなどできません。欲しいものに目を向けるより今あるものこそ大切だ、といくら伝えたところで反発してくるものさえ…。
それこそ、私は助ける係りだと割りきって何でもかんでも、これでもかこれでもかと依存してくる人たちに心底参りました。例え支えたところで願望は増すばかり。
結局はそんなことはできずに、余計に迷わせてしまっただけというような結末。
そんなところから皆が幸せに暮らすためにはまず自分が幸せになる、この大切さを痛感させられました。
all happy を願うなら先ずは each happy
私が幸せにできるのは自分自身が精一杯。家族や恋人でさえ幸せにできるものではありません。他人を幸せにしようとすると自分の心に見返りを求める気持ちが現れたり、他人の依存心を助長させてしまいます。せめてできることは、自分んで努力すれば自分自身が幸せになれるという事実を披露することくらい。それ以外は行きすぎてしまうことばかりです。
人のため人のため、自分のことは後回しで良い、そんな言葉を連発する人を私は信用しませんが上記を読めば意味がわかりますか?
現在でも私の心にのしかかろうとする人はいないことはありませんが、そんなことは私にはもうどうでも良いことになってきました。そんなことにいちいち構うより自分自身の毎日を充実させることに精一杯ですから。
あなた自身が幸せになりたいなら、周りの誰かを幸せにしたいなら、先ずはあなた自身が毎日を精一杯にいきること、それ以外の解を私は知りません。