今回のグラチャンバレー残念でしたね。私はすっかり鍋谷選手のファンになってテレビに釘付けでした。

 
昨日の中国戦は粘っても粘っても何度も突き放され、それをじっと見ている中田監督が印象的でした。「自分で考えられる選手になってほしい」その願いが電波を通して私にも伝わりました。
 
一方で中国選手はプレーは圧巻だけど、何かみんな機嫌悪そう、無表情な人が多いし、人相自体が怒ったような顔つきの人ばかり。テレビでも映っていましたが、観客席にいる影のドンのような人がいてその人がベンチにいる見せかけの監督に随時指示を出しているのだとか?なのでベンチの監督は何かおどおどした感じ。
 
中国と言えば共産主義の中央集権国家、個人の自由よりも国の威信が優先される国、スポーツも選手の生き甲斐や喜びなんかよりも国家の面子とかそんなものが優先されるのでしょうね。だから選手も自分の意思を捨ててただひたすら言われたことをやる、そんな生き方してたら笑わなくなりますわな!
 
自分達が強烈なスパイクアタックを決めても何か不機嫌そうに見えるのは、日本選手に対して「私たちは自分を捨てて戦っているの、あんたらと一緒にしないで!」、そんな顔つきに見えてしまいます。
 
前置きが長くなりましたが、私の周りにも昨日の中国選手と同じような顔つきの人が存在します。きっと同じように自分の思う人生を歩めていないのでしょう。そしてそれを誰かのせいに、何かのせいにしているから不機嫌なんでしょうね。人生全て思い通りに行ってる人などこの世に存在しえないと思いますが、彼らは自分だけが被害者でまわりは楽ばかりしていると思い込んでいるんでしょうね。
 
そんなだったら全てを捨てて自分の人生を歩めばいいのに。人並みの給料、人並みの家庭、人並みの能力、人並みの信頼できる友人…、そんなものが欲しいなら人並みに思い通りにならないことだって受け入れればいいのに。ね。
 
結局は上手くいかない自分に向き合わず他人を責めてばかりいるから何も変わらない。
 
さて、先にあげた屈強な中国を倒すには上記にヒントがあることに気づきましたか?中国の弱点は心に隠された怒り。自分を人間として見ず、一人のスポーツ兵としか見ない指導陣への怒りはいつもくすぶっているでしょう。上手くいっている間はその怒りを影に落としておけるが、上手くいかなくなったときは脆さが出てくるでしょう。言われたことしかやってこなかった人間は言われたことがないことへ対応できません。
 
きっとここが中田監督の狙いなんでしょうね。言われたことしかできない中での競争だと徹底管理された中国相手に勝ち目はない。だからこそ自分で考えられる人間になってほしいと願っているように思います。きっと綻びが見えると脆くなる、そこまで元天才セッターは見越しているように思うのは私だけでしょうか?