ピアノへの悩みからずっと指の支えについて研究してきたのですが、もっと大切なことを忘れていました。ピアノを弾く際、指先以外はどこにも触れません。鍵盤を触れていないときはそれこそ腕は何も支えがない状態です。
そんなときに腕をコントロールするのは肩、つまり肩甲骨の動きがダイレクトに腕を操っています。この1年ほどで幾分肩甲骨は思い通りに動き出しましたが、まだまだピアノを思い通りに弾けるほどの柔軟性は無いようです。
また、両腕を使ってピアノを弾くには身体の軸がぶれているとこれまた厳しくなりますよね。椅子にしっかり腰かけた状態で軸を安定させるには腰がしっかり背骨をささえないといけません。
こうして考えていくとスポーツでも日常生活でも身体の何かを支えにして身体を動かしていることがよくわかります。そしてその身体の根幹的な肩甲骨と股関節を無視して支えられるものはほぼ無いようです。
つまり身体の支えを上手く使うことでほとんどの動きがスムーズに行えるようになるはず。やはり基本に立ち返って肩と腰をもう一度見直す、現在の私の課題が顕になりました。
ところで、支えと言えば心の中にもありますよね。この支えがしっかりしている人とそうでない人、しっかりしている時とそうでない時、全く状況は変わりますよね。また、支えの位置を間違っている人も多く見かけます。
身体の支えは中心にある背骨を支える肩と腰、この2点がしっかりすることで膝や足首など様々な関節が補助的な支えとして機能します。では背骨に当たる心の中心は何でしょう?
今回は簡単に答え合わせします。答えは自分。自分自身を支えるとは自分を信じること、これは自己肯定そのものです。言葉を変えると自立です。
心が安定しない人の多くは他人を心の支えにしています。親が喜ぶから、子供の将来のために、恋人がいるから生きていける…、ってこれら全部他人を支えにしていますよね。これは自立と反対の依存、他人に依存するのは自己を肯定できない、つまり自己否定、こんな状態だから誰かに解ってもらいたくなる、解ってもらえなかったら何もできない、自分なんか生きてて無駄だ、ってなっていくわけです。
やはり心の支えも自己肯定が基本、その前に自他分離ができていないと自己も肯定できません。
自己を肯定できる人は誰かに解ってもらおうとは思いません。己が信じることに黙々とうちこめます。結果的にはこういう人の方が周りから理解されるんですよね。この理解は別の表現では信頼。他人に解ってもらうために正直でいることは裏返せば誰も見ていなかったら正直でいないことと同じですよね。そんな人を誰が信頼するでしょうか?
物事が上手くいかないのはきっと何かの理由があるはず。最も大切な支えがしっかりしていないことがその大きな理由。
もう一度、支えについて見直して見ませんか?