ずいぶん前に、私が学習塾を開いていた頃に中学生から一次関数の解き方について質問がありました。

 

簡単に説明したのですが、関数についての根本が解っていないことに気づいたので、関数というものはどういうものなのかを説明しようとしたのですが…

 

『センセー、そんなんどうでもええから解き方だけ教えてーや!』

 

このあと、そんなことしても試験で少し捻られたらきっと判らなくなるよとアドバイスするもののかたくなに断られ、結局は子供のいうとおりに指導したのですが、試験後に案の定

 

『センセー、なんであの時ちゃんと教えてくれんかったん!!』

 

となってしまいました。『ゆうたやろー』と言う私の言葉がきっと彼に重くのしかかったのでしょうね。

 

誰だって試験でよい点数を取りたいと思うものです。そのためになるべく少ない労力で結果を残したいものです。しかしそういうスタンスが余計に点数を下げさせ、勉強する労力を必要としてしまうのです。

 

私たちの開く自助会には、毎回のように参加する人、時々参加する人、いろいろいます。もちろんそれで良いです。

 

しかし、上記の話を思い出してください。例えば人間関係がうまく構築できない問題をなるべく少ない労力で、やり方だけを学ぼうとする人は少しうまく行きだしても暫くたって元通りの状態で帰ってくる人が大勢います。

 

最近の投稿で、職場の同僚が小学生の算数に取り組んでいることをお知らせしたと思いますが、最近の彼は数字や計算の面白さにはまっています。点数を取りたいとか、計算が速くなりたいとか、もはやそんな理由ではなくて、数の概念が面白くなりだしているようです。結果的にはそういう人はミスも減りスピードも上がるのだと思います。

 

私は自助会やこころの授業などで自己肯定と自他分離の大切さをいつも説いています。特に講義にいつも集まる人たちはこの2点への理解度はかなり高くなっていると思います。しかし、やはり問題を真正面から直視せず、できるだけ簡単に問題から回避したいと考える人は方法だけを覚えて目先ではうまくいくことがあっても定期的に問題を抱えてしまいます。

 

まあ、そういう姿勢は私の目からは一瞬で判るので、私が驚くことは稀ですが。

 

そして、そうやって何度も帰ってくるのもその人の修行であり人生であるので、待つしかありません。先に指摘しても目を背ける人の心には届きませんから。帰ってきてくれるだけでも嬉しいものです。

 

繰り返しますが、だれだって楽に人生を楽しみたいものです。しかし、そういう考えがあなた自身を苦しめることに気づかない限り大きな変化は現れないでしょう。

 

今一度、自分の人生としっかり向き合って、今の自分が何をすべきか考えてみませんか?

 

あなた自身が自分から根本を理解する姿勢がない限り何も変わりません。だから、今回は自己肯定についても自他分離についてもここでは一切説明しません。まずは自分で考えてみてください。