差別的な表現で失礼いたします。決して見下すつもりで使用しませんのでしばしお許しください。
MTFが最も嫌がる表現が『オカマ』ではないでしょうか?この言葉について特段説明も必要ないでしょう。私の認識では90年代頃からオカマの対義語としてオナベという言葉が社会に浸透しだしたと思います。
私の周りでもボーイッシュな女の子やカッコいい女性も多く見かけるようになりました。これらは女性開放の点からもかなりポジティブな評価を得ているのではないでしょうか?
しかし、一方で女性的な男性という表現は多く存在しないのではないでしょうか?ガーリッシュな男の子、美しい男性…。なんか違和感ありますよね。女性的な男性を好意的に表現するときの常套句は『大人しい』『心優しい』と表現するのではないでしょうか?
いやいや、女性的でなくても大人しい男性、心優しい男性はこの世にゴマンといます。
意識調査などでも家族にMTFとFTMがいた場合に圧倒的にFTMのほうが受け入れられるようです。きっと深層の中に『オカマ=気持ち悪い』『オナベ=自立心がある』のような心理が働いているのではないでしょうか?
きっと社会の中にまだまだ男尊女卑の価値観が残っているのでは?と感じます。つまりつまり、MTFは地位の高い男性に生まれながら自分を下げて女性として暮らそうとしている、けしからん。逆に女性に生まれながら男性として生きようとしていることは立派だ、そんな社会意識が働いているように感じます。
といってもFTMも決して楽に暮らせていると言っているわけでないので悪しからず。
あなたの息子がある日突然女性として生きたいと言い出したらどう感じますか?逆に娘が男性として暮らしたいと言い出した時と同じように感じますか?
私は15年ほど前から男性差別というものに取り組み出しました。これは女性差別を否定するものではありません。一般的な女性の解放運動は私の目には女性の男性化のように映ります。本当にその人個人の個性を尊重するのであれば、その人らしいさが最も大切なものです。男性的な男性、女性的な男性、男性的な女性、女性的な男性、それぞれが尊重されて初めて個性が認められる社会と言えるのではないでしょうか?
発達障がい当事者の多くは自分の個性を認めて欲しいと願いますが、本当に個性を認め合える社会なら、上記のような性的違和を感じるものや、その他人種や国籍、身体的特徴などを全て認め合える必要がありますよね。
現在の私は男性差別問題から少しシフトして『ジェンダーフリー』という考え方を持っています。その人がその人らしくいればいい、つまり性表現もその人が思う通りになればそれで良い、そんな風に考えています。そして私自身が常にそういう生き方を目指しています。
あなたの中に男尊女卑の心は残っていませんか?今一度問いなおしてみませんか?