8月の後半は私にとってとても有意義な時間でした。とくに身体の使い方を学ぶ上で。
最近は自分が思いついた身体の動かし方に関して同じような考え方を持っている人をネットでよく探しているのですが、そのようなところから色々な学びがあります。
挙げだせばきりがないのですが、手の甲の動きと肩甲骨と腰の連動、腰と股関節の連動など、いろいろ深まってきています。勝手な私のイメージですが、野球やテニスに一石投じられそうなものが見つかりそうな雰囲気も少しあります。
人間の身体を学べば学ぶほどにうまくできているというか、逆にこんなふうに使うためにこのような形になったのか、というようなものがどんどん現れます。
身体が使いやすいように使うことで能力が上がるだけでなく、肺や腸の動きも良くなるし、考え方も次第に変わって来る。身体と向き合うことで、確実に生き方が変わっているように感じます。
私の場合は発達障害の特性に深く悩んだことから心についての学びを得ましたが、身体と向き合っていてもきっと同じような心の学びを得られたように感じます。逆説的には発達障害から学んだ心の学びが現在の身体との向き合いにとても役立っています。
本当に、どんなことでもその先にあるもの、もっと奥にあるものを知ろうとする努力から同じものが見えてくるのでしょうね。そして、それを本質というのではないでしょうか?もしくは原理といえるかもしれません。
身体と向き合うことからも心の学びもどんどん深まっているように感じます。
冒頭でも述べましたが、この夏は自分なりにかなり深く身体と語り合えたように思います。新たな目標や課題もでき、この秋ももっと深めていくつもりですが、別な視野も広がり出しました。
ずっと取り組んでいることではありますが、英語を話すことと、音感を磨くこと、この二点もきっと本質は同じだろうから、私の長年の願いでもあるし、何か取っ掛かりを見つけたいのですが、現在模索中です。
でもなんとなくこの秋が良い転機になるような気がしています。とりあえずは引き続き身体としっかり向き合うこと、それが次の目標につながっていくように感じています。