昨日は第1回目の発達塾でした。
多くの人にご出席いただき心より感謝申し上げます。
いつものごとく、細かなプランニングのないいきあたりばったりなお話ですみません。これが私のスタイルなので…、まあ諦めも人生の重要なファクター、ということで…。
さてさて、塾や家庭教師でもかんじたことですが、いつもながら講師だとか先生と呼ばれる立場の方が学べるように思います。昨日もお話させてもらいながらたくさん学ばせていただいたと思います。その一つをここで補講という形で述べさせてください。
昨日の講義内容は『発達特性を自分の強みに変えて人生を充実させよう』という主旨でした。自分の趣向や特性を自分で見つけ出しながら、社会でそれを活かす場所が見えてくれば目的達成と言ったところでしょうか?
特にマインドマップは好評だったようで、新たな自分を発見できたという声も多く耳に入れることが出来ました。
一方で、自分の強みをなかなか見いだせなかった方もいたように感じます。
すぐに見つかるものでもないので、これから深めていく中で少しずつ自分を発見していけば良いので、焦ることもありませんが、私が気づいたことがあります。
自分が好きな人とそうでない人、自分を信頼している人とそうでない人、そんな分け方が良いような気がします。
私自身も欝で悩んでいた頃は自分が大嫌いでした。ある本の中で自分に自身がない人を誰も信用してくれない、自分を好きでない人を誰も好きになってくれない、というような内容を目にしました。
とても心に突き刺さる、そんな思いをしながら、でも自分を好きになっても良いかも知れない、そんな気持ちが同時に芽生えて、悶絶しながら少しずつ自分を好きになる努力をしていきました。今となってはこれが受け入れの始まりだったようにも感じます。
人に何かを薦めるときに、自分が好きでないもの、信頼していないもの、そんなものを紹介しますか?同じように自分のことを好きでない、自分のことを信頼していない人のことを誰が認めてくれるでしょうか?
自惚れろと言っていませんが、卑下しろとも言いません。自分のことをわかってほしいという気持ちは自分自身が自分をかわっていないから思うのではないでしょうか?
好き嫌いな気持ちはそれぞれが自由に感じるものです。自分を嫌う気持ちが悪いとは言いませんが、自分を好きになってはいけないと思い込まされたりしていませんか?
私の師、加藤諦三は『自分を愛せないものは他人も愛せない』と言います。この言葉と初めてであった私はこの言葉を全力で否定しようとしました。自分を受け入れられない私にはおもすぎたのかも知れません。
自分の受け入れ方はいくらか方法があると思います。自分を好きになるという方法が合う人とそうでない人がいるかも知れません。時間がかかることでもあるでしょう。合わない人は別の方法を考えるのも良いかも知れません。
今回のお話では、自分の才能、感性を肯定することから始めるという主旨でしたので、『自分を好きになる』というテーマで考えてみてはいかがでしょう?

多くの人にご出席いただき心より感謝申し上げます。
いつものごとく、細かなプランニングのないいきあたりばったりなお話ですみません。これが私のスタイルなので…、まあ諦めも人生の重要なファクター、ということで…。
さてさて、塾や家庭教師でもかんじたことですが、いつもながら講師だとか先生と呼ばれる立場の方が学べるように思います。昨日もお話させてもらいながらたくさん学ばせていただいたと思います。その一つをここで補講という形で述べさせてください。
昨日の講義内容は『発達特性を自分の強みに変えて人生を充実させよう』という主旨でした。自分の趣向や特性を自分で見つけ出しながら、社会でそれを活かす場所が見えてくれば目的達成と言ったところでしょうか?
特にマインドマップは好評だったようで、新たな自分を発見できたという声も多く耳に入れることが出来ました。
一方で、自分の強みをなかなか見いだせなかった方もいたように感じます。
すぐに見つかるものでもないので、これから深めていく中で少しずつ自分を発見していけば良いので、焦ることもありませんが、私が気づいたことがあります。
自分が好きな人とそうでない人、自分を信頼している人とそうでない人、そんな分け方が良いような気がします。
私自身も欝で悩んでいた頃は自分が大嫌いでした。ある本の中で自分に自身がない人を誰も信用してくれない、自分を好きでない人を誰も好きになってくれない、というような内容を目にしました。
とても心に突き刺さる、そんな思いをしながら、でも自分を好きになっても良いかも知れない、そんな気持ちが同時に芽生えて、悶絶しながら少しずつ自分を好きになる努力をしていきました。今となってはこれが受け入れの始まりだったようにも感じます。
人に何かを薦めるときに、自分が好きでないもの、信頼していないもの、そんなものを紹介しますか?同じように自分のことを好きでない、自分のことを信頼していない人のことを誰が認めてくれるでしょうか?
自惚れろと言っていませんが、卑下しろとも言いません。自分のことをわかってほしいという気持ちは自分自身が自分をかわっていないから思うのではないでしょうか?
好き嫌いな気持ちはそれぞれが自由に感じるものです。自分を嫌う気持ちが悪いとは言いませんが、自分を好きになってはいけないと思い込まされたりしていませんか?
私の師、加藤諦三は『自分を愛せないものは他人も愛せない』と言います。この言葉と初めてであった私はこの言葉を全力で否定しようとしました。自分を受け入れられない私にはおもすぎたのかも知れません。
自分の受け入れ方はいくらか方法があると思います。自分を好きになるという方法が合う人とそうでない人がいるかも知れません。時間がかかることでもあるでしょう。合わない人は別の方法を考えるのも良いかも知れません。
今回のお話では、自分の才能、感性を肯定することから始めるという主旨でしたので、『自分を好きになる』というテーマで考えてみてはいかがでしょう?