昨日は私が担当する自助会の日でした。今月は自助会参加が少ないのですが、皆さんの多くの悩みを聞く機会があり、たくさん学ばせていただいています。

先日はアメリカ旅行から帰ってきた友人の話の中に、それまであまり好きでなかった味噌汁のおいしさとありがたさを痛感したというものがありました。日本食にたった数週間はなれるだけでも普段当たり前のようにあるものがありがたく思えるのはとてもすばらしい経験ではないでしょうか?

皆さんの悩みを聞かせていただく中で、多くは自分のことをわかってもらえないとか、ある特定の人に何かを解らせたいとか、分からない人間やグループを責めたい気持ちだとか、わかってほしい病といってもいいものが大半、いや、ほとんどがそうかもしれません。そして、彼らに共通するのは自分の周りに自分を理解してくれている人がいることに気づかなかったり、きづいていてもそれは当たり前で感謝の対象にならなかったりします。

誰しも自分の人生をより有意義に生きたいでしょう。思い通りにならないことを思い通りにさせたいでしょう。しかし、独裁者でさえすべてを思い通りには操作できません。まして、私たち凡人は思い通りにならないことばかりです。

しかし、よくよく考えてみるとすべてが思い通りにならないわけではありません。いつも無いものにばかり目が行って、あるものは当たり前として見ようとしないことがよくあります。

会社で思い通りにならなくても、当たり前のように朝食を作ってくれる家族の存在に気づいているでしょうか?思うような成績が出せなくても、自分を思ってくれる友人がいることを忘れていませんか?どんなときも明るく挨拶してくれている人が周りにいることに気づけていますか?家族が健康でいてくれること以上に幸せはあるでしょうか?

なりたい自分を持つなといっているわけではありません。無いものねだりする前に与えられているものに感謝することのほうが大切ではないでしょうか?

私はかけがえの無いものを失ってはじめて気づきました。だからこそ、ほんの少し感謝することを知りました。感謝することを知ったおかげで、世の中は自分が思っているより自分のことを解ってくれていることを知りました。感謝することで己が生かされていることに気づけます。それまでは己のみの力で生きようとしていました。

あるべき姿の自分を一生懸命に毎日を生きれば、活かされている事、自分が生きれていることに感謝できます。人に感謝できれば人に感謝されます。人を思い通りに動かそうとするほどに他人から思い通りに動かされてしまいます。与えられた自分の人生をしっかり生きると自然にあるべき自分に、そしてそれは自分の夢へと近づきます。

今日一日を生きることができる、それ以上の感謝はありえるでしょうか?

一杯の味噌汁が教えてくれることに心から感謝します。