先日のSNSのコメントで『正直者が損をしない~』という言葉が気になったのでコメントしてみます。
このフレーズを最も聴くのはテレビ番組のワイドショーやニュースのような気がします。皆さん、本当に正直者は損をすると思いますか?少なくとも私はそうは思いません。
人はどう評価するかは別として私自身は正直に生きているつもりです。そして、私が損をしたと思ったことは個々3年ほどはありません。(その前にはありましたが…)
そこで、今回も加藤諦三流に『損をする正直者の心理』についてお話します。
私が塾で先ず思ったことは、子供たちは良い子で痛いのではなくて、良い子でいないといけないと怯えていることでした。つまり、良い子でいないと叱られる、良い子でいないと損をするそう思って良い子でいるのがほとんどです。裏返せば良い子でいるのは面倒だったり、時には悪い子になりたい気持ちがあったりするが、してはいけないからしないのだと思います。だからこそ、良い子でいない子が許せなかったり、いじめたりするのではないでしょうか?
大人でも同じだと思います。正直者でいないといけないから正直でいる、だから正直者でない人が徳をするのが許せないのではないでしょうか?そもそも、何故正直でないといけないのでしょうか?昔話では正直者は最後には徳をするという物語が多いですが、最後に徳をしたくて正直ものでいるのは、結局は損得勘定ではないでしょうか?得したくて正直でいるのに正直でない人が徳をするのは道理に外れている、そんな風に思うのだと思います。そして、この場合での損得はほとんどが金銭のことを意識しているのではないでしょうか?
私は自分に正直に生きていて損をしていると思うことはほとんどありません。確かに金銭的には恵まれないかも知れませんが、私が生きていくに必要な金額を得れる環境は与えられています。昔の私は自分の実力でなんとか生き延びようと必至になっていましたが、現在は正直に生きていれば周りに生かされる、いや活かされる、そんな風に思います。
正直に生きれば、仲間ができます。私を理解してくれる人ができます。困った時に手を差し伸べてくれる人ができます。お金以上の幸せはたくさんあるのではないでしょうか?
ぶっちゃけた表現をすると、
得をしたい正直者は損をして、ただ正直なものは徳を得る、
そんな風に思います。
得をしたい、その気持ち自身が正直と言えるのでしょうか?
かなり厳しい表現をしましたが、今一度心に問いなおしてください。
前にも書きましたが、人を騙す好意は目先の得を手に入れるが、自分が人を信用できなくなるという人間にとって最も大事な信頼を失ってしまいます。得をしていると思われている人も、実は心を痛めながら生きているのではないでしょうか?または、心を痛めてしまったからこそ、目先の得しか見えなくなっているのかも知れません。
人生の損得なんて簡単に見えるものではありません。人の得ばかりに目が言ってしまうなら、自分の本当の生き方を見失っているかも知れません。もう一度、損得についてしっかり考えてみてはいかがでしょう?

このフレーズを最も聴くのはテレビ番組のワイドショーやニュースのような気がします。皆さん、本当に正直者は損をすると思いますか?少なくとも私はそうは思いません。
人はどう評価するかは別として私自身は正直に生きているつもりです。そして、私が損をしたと思ったことは個々3年ほどはありません。(その前にはありましたが…)
そこで、今回も加藤諦三流に『損をする正直者の心理』についてお話します。
私が塾で先ず思ったことは、子供たちは良い子で痛いのではなくて、良い子でいないといけないと怯えていることでした。つまり、良い子でいないと叱られる、良い子でいないと損をするそう思って良い子でいるのがほとんどです。裏返せば良い子でいるのは面倒だったり、時には悪い子になりたい気持ちがあったりするが、してはいけないからしないのだと思います。だからこそ、良い子でいない子が許せなかったり、いじめたりするのではないでしょうか?
大人でも同じだと思います。正直者でいないといけないから正直でいる、だから正直者でない人が徳をするのが許せないのではないでしょうか?そもそも、何故正直でないといけないのでしょうか?昔話では正直者は最後には徳をするという物語が多いですが、最後に徳をしたくて正直ものでいるのは、結局は損得勘定ではないでしょうか?得したくて正直でいるのに正直でない人が徳をするのは道理に外れている、そんな風に思うのだと思います。そして、この場合での損得はほとんどが金銭のことを意識しているのではないでしょうか?
私は自分に正直に生きていて損をしていると思うことはほとんどありません。確かに金銭的には恵まれないかも知れませんが、私が生きていくに必要な金額を得れる環境は与えられています。昔の私は自分の実力でなんとか生き延びようと必至になっていましたが、現在は正直に生きていれば周りに生かされる、いや活かされる、そんな風に思います。
正直に生きれば、仲間ができます。私を理解してくれる人ができます。困った時に手を差し伸べてくれる人ができます。お金以上の幸せはたくさんあるのではないでしょうか?
ぶっちゃけた表現をすると、
得をしたい正直者は損をして、ただ正直なものは徳を得る、
そんな風に思います。
得をしたい、その気持ち自身が正直と言えるのでしょうか?
かなり厳しい表現をしましたが、今一度心に問いなおしてください。
前にも書きましたが、人を騙す好意は目先の得を手に入れるが、自分が人を信用できなくなるという人間にとって最も大事な信頼を失ってしまいます。得をしていると思われている人も、実は心を痛めながら生きているのではないでしょうか?または、心を痛めてしまったからこそ、目先の得しか見えなくなっているのかも知れません。
人生の損得なんて簡単に見えるものではありません。人の得ばかりに目が言ってしまうなら、自分の本当の生き方を見失っているかも知れません。もう一度、損得についてしっかり考えてみてはいかがでしょう?