舛添都知事へのバッシングがひどくなってきましたね。



私は東京都民でないので私が裏切られたわけではないので怒りの気持ちは湧いてきません。一方で、東京都の問題だけにあんなに電波を使用して良いのかというくらいワイドショーで取り上げられていますね。ほとんど弱いもんいじめ。



そういえば兵庫県議の野々村くんの時もひどかったですね。彼は結局切手代を返金したそうですね。なので、それなりに償いをしたわけです。なのに、裁判に出てこないとか、なんとかかんとか、



彼の件に関しては最初に切手の大量購入を見つけこうに知らせた記者の努力には賞賛を送ります。公の権力と戦って、それなりに恐怖も感じたと思いますが、乗り越えて報道に踏み切った。しかし、その後に風見鶏記者たちのこれでもかという執拗な取材や、コメンテーターと呼ばれるおえらいさん方の人格総否定ぶりは見かねてしまいます。



やり直しができる社会を目指そう



なんて言っておきながら、謝罪した後も執拗な弱い者いじめは見苦しい限りですね。





さて、では何故人は弱い者いじめをしてしまうのか?



このことを説明するのに猿や犬の世界から考えなおしてみました。例によって数千文字の説明では到底足りないので要約します。



結局のところ人は弱いから弱い者いじめをするのではないでしょうか?普段から自分らしい生き方ができない。周りからバカにされているように感じている、など、満たされない自分の感情がいらだちとなって溜まっている時に、自分の感情をぶつけられる対象に執拗な攻撃を加えてしまうのでは無いでしょうか?特に権力者にボロが出た時はそれまでの仕返しの感情も相まって、また、相手が権力者なので弱者ではないと錯覚してしまうのではないでしょうか?



自分が自分らしく、己の人生を全うしていたら、他人の非行はさほど気になりません。間違ったことをすれば行き詰まり、問題が起きる。そしてその時に反省し償い次に進めばよいだけです。



舛添さんに関しては、一旦おやめになったほうが良いと思います。昨日の会見では自分の非を認めたのだから、もう一度しっかり反省する意味で身を引くのが潔いと思います。ただし、私は都民ではありません。これ以上彼にコメントする気もありませんし、同時に彼を袋叩きにしているメディアの対応にこの国の民度に低さを感じてしまいます。