子供たちが勉強の意味をよく聞いてきます。将来をイメージできにくい彼らにとってなんの意味があるのか解らないのは当然でしょう。できることならその意味を一人で真剣に考えても欲しいですが…

さて、少し前に将来消えるであろう職業のリストが発表されました。肉体労働に加え運転手などの職業もいずれは消えてしまうようです。時代の変化に伴う新たな職業も産まれはするでしょうが、基本的には労働集約が進む中で労働人口の余剰化は避けられないでしょう。

もはや機械にできないことを身につける以外に生きる道は無いのかも知れません。人ができないこと、自分にしかできないことを極めてきた私ですが、私にとって機械は使うものであり競う物ではありませんでした。

将来の彼らは私達の想像を超えた世界で生きることとなるのでしょう。

勉学が彼らを助ける保証ももはやあり得ないかもしれません。しかし最後に残された砦こそ学びでもあると思います。学びを必要としない世界に人間は必要とされるのでしょうか?映画「ターミネータ」の時代も否定できないでしょう。

人間が作り出した端末が異次元的速度で知恵を高める中、それを上回る知恵を人間自らが持たずして未来はないと確信します。できうれば、私の教え子たちがリーダーとなって欲しいですが、