森で働く人は山の神を肌で感じるそうです。ある大学の先生は滝に打たれることで霊感が増したそうです。私も和歌山を歩いてから感じるものが増えたように思います。文明によって眠ってしまった人間の感覚は、あるいは簡単に目を覚ますのかもしれません。

最近の私はノストラダムスを哲学者のように感じています。きっと彼も感性が鋭すぎたのでしょう。私達が感じないものを沢山感じたように思います。しかしトロイの木馬のごとく歯がゆい思いをしたのでは無いでしょうか?

何も見えない方が幸せなのかもしれません。

私の心の重さの正体がよくわかりませんが、こんなことばかり考えてしまいます。