私が6年間を過ごした土佐の文化はおおらかで、遅刻という概念が希薄なことから「高知時間」と言ったりしていました。これは高知に限らず南国地方に共通するようで、世界的に言えることのようです。
ハワイの人の温かさやブラジル文化の陽気さ、ヨーロッパでも南イタリアはのんびりした空気を感じさせます。
勤勉な日本社会では南国特有の空気はあまり歓迎されません。しかし、私はこれに疑問を感じます。時間や約束にルーズでよいと言うわけではありません。文化の違いを認め合う必要があると述べたいのです。
もともと南国では食料に困ることは滅多にありません。周りに幾らでも食べ物が調達できる環境で育てば、集団行動する必要もないし、気ままに生きることができます。集団行動が必要なければ時間にルーズになるのは当たり前です。食料に困らなければ誰にでも分け与えられるおおらかさが生まれます。ハワイの王は侵略してきたアメリカ人を友達のように受け入れたそうですが、分からない話ではありません。
南国文化は或いは最も人間の裕福さを顕しているのかも知れません。そしてこれが人として最も自然な姿のようにも思います。そして、私自身はその文化の中で生きていきたいと願っています。現在の文明なら可能かもしれません。
地球温暖化が進めば人類全てがおおらかになるかも知れませんね。(一応鋭く刺しているつもり)