私の大学時代を過ごした四国は空海とは縁の深い地です。氏を心から尊敬し、学びたいと願っています。そんな思いから彼が歩いた紀伊半島を歩いてみました。そして、その経験から一つの仮説を導き出しました。
歩くことが人を成長させる。そう思えるようになりました。
歩いて旅すると言うことは迷いの連続です。この道を進めば次はどの地で休むのか?先に進むか引き返すか?重い荷物の何を捨てればよいか?本当に捨てて良いのか?なにせ一つ一つ悩まされます。空海の生きた時代であれば峠での1泊は山賊の恐怖に怯えさせられたことでしょう。旅先での病は命に関わることだろうから心細かったかも知れません。
私自身も2年前ですが、そのような迷いとずっと対峙しながら一歩一歩歩きました。いつ終わるかわからない峠道では気を紛らわせないと辛くて歩けません。足で旅する以上に心の中をくまなく旅できた様にも思えます。
交通手段の発達は、このような心を旅する経験を奪ったのかも知れません。昔の人達が私たちよりも偉大に見えるのはこの経験値の差から来るのではないでしょうか?まして空海は信じられないほどの距離を歩いたのだからどれほどの経験を積めたことか?
昨日教わったことですが、ふくらはぎは第二の心臓とも言われ、鍛えることで心臓の負担が軽減するそうです。その分頭部へも多くの酸素を運ぶことができるのでしょう。二足歩行が可能となった人類が脳を急速に発展させれたのもふくらはぎを鍛えられたからかも知れません。
人間が忘れてはいけないこと、その根底は歩くことかもしれませんね。